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2020/1/6

明けましておめでとう。年が明けて、みんなが日常の社会生活に戻っていって、ひとり取り残されているような感じのこの頃。ちかごろ、ほとんど引きこもりの無職のような暮らしをしているのだけど、楽しくもあり、苦しくもあり、かといって社会復帰(そんな言葉は変だ、だって私は社会に属していたことなんてないもの)できそうだ、とかしたいな、とか思わないのだけど。美しさを犠牲に生活を続ける叔母、とその弟である、肉体をすり減らしながら労働をする父、が軽口を交し合っているのを眺めながら本来だったら返済をはじめてなければならないはずの奨学金のことを考える正月だった。世の中は「すべき」ことであふれていて、私がぼんやり生きていると、働くのは楽しいよとか。若いうちに旅行すべきとか、親切なひとたちがたくさんのアドバイスをくれる。さまざまな現実があまりに現実味を帯びていないのに、悪意を持ったひとなんて一人もいなくて、遣る瀬無い、とはこういうことをいうのかしら?借金を借金で返済しながら永続していくシステムよ。本を読んでいると真面目だね、と言われる社会でしょ。面倒だからただ笑っておくけど、小説ばっかり読んでるやつなんて、本来は不良でしょう。そのたぐいの勘違いを重ねてきた結果、だって、私のことを男の子と手を繫いだことも無いような純情だ、と思ってるひともいれば、男とみれば全員と寝てる(そんなマメな性格じゃないことは一目瞭然なのに)ように思っているひともいるらしいのだ。やはりただ笑うだけにしてしまうのだけど、本当は箸を投げたり唾を吐いてやったりすべきなのかしらん。とにかく八方美人をやめることが課題なのかもしれない。

ただ、まあ繰り返すけれど現実は現実味を帯びていなくて、多少愛着を抱いている大人たちが苦しそうにしているのをかろうじて可哀想だとは思うけれど、私にとって現実味のある現実はいつも甘く美しく広いので救いがある。『虹のヲルゴオル』でビリー・ワイルダーの話をしてくれる橋本治が、「正しくなくていいから魂に恥じない生き方を」とお説教してくれる及川光博が、「音楽はみなさんが思っているよりずっと簡単だ」と言い切るファイナルスパンクハッピーのボスとODが私にとっての現実で、いまだにお年玉をくれる親族も現実で、ファミリーレストランのドリンクバー、日比谷図書館、スターバックスのティーラテ、あたりはもちろんのこと。広告コピーが鼻につくNetflixも広い心で許しつつ(便利だしね)、世にあふれる道徳の教科書じみた言説に騙されないように(感謝しましょう、なんて言われて感謝しだすひとがいるって本気で信じてるのならうらやましいけど)、星座占いを憎んだりしないで、AIに仕事を奪われたり、誰かの唇を奪ったり。美しいものを美しいと思うことになるべく戸惑わないこと、何かを戸惑いながらも信じること、も現実に取り入れて。できることもできないこともありましょうが、「私たちは、生きていさえすればいいのよ」の心持ちで生きていけたらいいよね。じゃあまたね。寒空の下、愛をこめて。(誰に?)

💙