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シンキング・サルディウス

生きてると色んなことを感じるし、色んな言葉で響くけど、どんどん忘れていって自分に何も残っていないということが怖いと思った。

なので、ちゃんと文章に残して自分の心の想いを絶対に離さないように記録することにした。

自分は常に頭の中で会話をしたり一人で喋ったり、喋るというか語っていたり語るつもりないのに文を組み立てていたり、そんなことをしているから綴りたいことが割とあって。

でも、心の繊細な声に関しては文章に起こすのは結構難しいところがある。もう心の声同士でしか話すことができないみたいな、理解することができないみたいな、なんかそういう、そういうあれです。

でも、自分はそういうところこそ言葉にして存在させてあげたくなっちゃう。余計なお世話をして魂を吹き込んであげたくなってしまう。

いつまでその子たちが残るのかは知らんですけど、だから本当にわたしの自己満足なことなんですけど、言い訳なだけなんですけど、自分が生みの親だから、愛でてあげたくなってしまう。すぐ自立させるからその子らのケアはしたりしなかったりなので最低なのですけども、そうなんです。(なにが?)

冒頭で、心の想いを文章に残すと言ったけれど、今のところ具体的にだからそれはなんなんだ?ってところだよな。

割りかしその後に綴ったことも全部、心の想いだったりする。一人でそういったことを頭の中で会話して「( ◠‿◠ )」こういう気持ちになっている。本当に楽しい。

自分は昔から人形と遊ぶのが大好きだったから、人間という人間はわたし一人だったけど、結構本気で人形たちが生きていると思っていたから、何も寂しくなかったしむしろ幸せだった。というか全ての物には命があると米粒時代から信じて疑っていなかったから、まぁ人間の友達と遊ぶのと全く変わらない、という言い方の方が自分にはしっくりくるんだけど。

小さい頃から一人で人形たちと遊んで会話して生きていたところがあるからか、今でも一人で頭の中の誰かと一生会話してしまうんだろうかね。誰か って記述したけれど、わたし以外の誰かというよりかは、わたしの中の誰か、みたいな、なんか自分でもよくわからん自分の誰かという認識で話してる。

ここまで話してきて、頭のおかしい奴だと思っただろうな。血の繋がっている姉にもよく言われる。情緒大丈夫か?って。

こういった話を実際に音でわかる言葉で人と話すのって、結構難しい。共感、とか、そういうことじゃなくって、なんかうまく線を辿らないから、難しい。

文章にすると、自分の中にある想いと近づいている空気になるから、文章にして伝えることが自分の普通になる。言葉は非常に大事だから、口に出すときは時間が必要になってしまう。繊細なものを扱うのはとっても怖い。うまく扱える自信が全くない。言葉はそのNo. 1だと思う。

自分の心の想いを清らかなものに展観して片付ける作業がすごく好き。安心できて、居心地が良い。そんな作業は一人でしか出来ないから自分だけで十分だけど、そんな作業を見守ってくれる誰か一人の共感者がいたら、心がもっと豊かになりそうで羨ましいと思う。

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