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半強制半デジタルデトックス


片道二時間と少し。遠過ぎるわけでもないが決して気軽に帰れる距離ではない、そんな場所に私が二十三年間生きてきた街がある。ちょっと大袈裟な書き出しとなってしまったが世間様から見れば頻繁に帰省している方ではあるし、今の街に越してきてたった二年半程度だ。それでも見慣れているはずの扉に手をかけ、真っ先に口をついてでたのが「ただいま」ではなくって「お邪魔します」になってしまったのだから恐ろしいものだ。ひどく、寂しいものだ。

私の地元は辺鄙なところではあるが他に比べれば夏を過ごしやすく、夜風と扇風機だけで夜を過ごせるくらいには涼しい地域なのだ。ありがたい非常にありがたい。過ごしやすいが過ぎる、車から降り立った瞬間に肌に触れる湿った空気に熱気を帯びていないことに感動してしまったもんな。そうだ、この多少の不快感が私の知る夏だ。それに比べ今年はどうだ、私が何をしたってんだと涙するくらいには暑いじゃないか。もう帰ろう、ここに。あんな殺人猛暑地域になんて誰が戻ってやるかと帰省数分で強い決心を抱いてしまう。…しかしまあ辺鄙地域であることに変わりないので“田舎”と称される地域によくある不便さを持ち合わせている。車が必需品なのは勿論のこと、娯楽も極端に少ない。ここまでは皆さんと分かり合えるラインだが私の地元、というか我が家は夏を過ごしやすい気温!という利点を得るにはでか過ぎる代償を抱えていた。

電波が届かないのだ、なぜか。テレビは問題なく映るし固定電話も繋がる。そういう類の知識に疎いので仕組みはわからないがインターネットワークが死んでいるのだ。Twitter(X)やLINE、ゲームアプリの一切が開けない。調子がよくって4Gアンテナ一本(これは今日偶然発見したのだが台所に微かなネットワーク系電波の通り道が存在する)基本的には圏外だからそれも当たり前なのかもしれない。ちなみに地下室住まいでもなけりゃ、うちの地元全体がそうというわけでもない、まずそこまでド田舎というわけじゃない。信じられないかもしれないが我が家に限った話なのだ。祖母は「うちは山を背負ってるからね」と言うが家の下に何か埋まってんじゃねえのか?と疑うほどにはインターネットに繋がらない。二年半前までは我が家で契約しているWi-Fiが不調になる度にネット世界から弾き飛ばされていたものだ、いやはや懐かしい。まあWi-Fiが不調になるなんてことも早々ないので不便レベルでいえばレベル1にも満たない。しかし、それも二年半前までの話だ。私が地元を飛び出した後の我が家は今、インターネットと無縁の場所で生きてきた祖母のための孤城だ。Wi-Fiは即解約された。

Wi-Fiという文明の利器を失った我が家は今やもぬけの殻といっても過言ではない。…いやしっかりと過言であるし、言葉の使い方を間違えている!と指をさされたところで何も言い返せないが私の中ではもぬけの殻状態という字面が一番すわりがいいのだ。さてこの二日間、半強制的なデジタルデトックスを強いられた訳だがここで家中を歩き回り電波の通り道を探したり、この猛暑の中外に出てまでSNSをチェックするなんてまねはしない。多少はしたが。しかしそんな無駄な足掻きをしようもんならクマとは呼び難い、クマのコスプレを頑張った禿頭の殺人鬼にスプラッタな目に遭わされるに違いのでここは流れに身を任せ、ひとまず大人しくするに限るのだ。(映画あくまのくまさんをまだ観ていない人の為に説明しておくと、主人公がデジタルデトックスか何かの為に宿にたどり着くなり携帯を没収されるシーンが存在する)無問題だ、謳歌してやろうじゃないか田舎を。

とはいえ、することは普段の休日と基本的には変わらない。事前にダウンロードしていた映画を観るだとか(この時点でデジタルデトックスと呼べない気もする)寝転びながら読書に耽るだとか、あくまで携帯電話に触れる時間が省略されるだけだ。しかし今年の私は一味違う、ここに+αが加わる。何を隠そう今月末にインターネットの友人と読書感想文を交換し合う約束をしているのだ。あまりに夏らしい予定に我ながらウキウキである。帰省二日目。丸テーブルの上、新聞ストッカーから適当に引っ張り出したチラシの裏にそれっぽく下書きなんかを書いてみる。合間、視界のはしっこに映る冷えた麦茶とおやつの梨に田舎の夏を感じた。母の地元観光の誘いを断り机に齧り付いて熱中していれば「お腹空いたでしょ」と祖母の声が降り注いだ。ふと見上げた先、時計の太い秒針は午後三時あたりをさしていた。リビングテーブルの上に広がる真っ白なそれをみて「おそうめんか〜」と私が少し残念そうにすれば、祖母は「残念、ひやむぎです」と口を窄ませた。…なるほど、ひやむぎか。ひやむぎ?いやいや、ひやむぎとそうめんにそんな大きな違いがあるの?とも思ったが、たださえ今年のバカ猛暑アホのせいで無駄に疲弊しているのにこれ以上体力を消耗してたまるか!俺は休みに田舎に来てんだ!強気な私は「わ〜ひやむぎか!」と笑顔を作った、バカ丸出しである。

祖母の話す、内容のスケールとしてはちっぽけでくだらないのに主語ばかりが大きくなっていくご近所さんの愚痴をBGMにひやむぎを啜り「…いや全然そうめんじゃん、なんで名前変えるんだよ誰だよ名前変えようとか言ったの」と然程好奇心を擽られないひやむぎとそうめんの違いに思いを馳せる。確か太さの違いだったような気もするが、明確な答えはこれっぽっちも求めちゃいないので間違えてもリプライで『ひやむぎとそうめんの違いもわからないなんて、堂々と自分の無知を晒していて恥ずかしくないんですか?』なんて冷たい言葉を投げ掛けるのはだけはやめてほしい。全然恥ずかしくない、口酸っぱく『無知は罪ではないが、知ろうとしないのは罪だ』なんて格好つけてきたがこれに関しては興味がそそらないのだから致し方ない。興味といえば、最近の私は少々疲れている。こんな誰が読んでくれるかもわからないnoteで揚げ足を取られないように言い訳に言い訳を重ねるような物言いをする程には疲れている。そうだ、私は疲れているという話をしたかったのだ。話の本筋に辿り着くまで2000字ほど要してしまったがこれも致し方ない。なにせ人間(これは私に限った話かもしれないが)疲れている時ほど無駄で意味のない順序を踏みたいものだ。遠い昔、テスト前日に大掃除を始めてい学生時代よろしく。

話は本題に移る。私は興味を持つという行為に疲れていた、もしくは疲れていたので興味を持てなかった。祖母が口にするような、共感しようが否定しようが私の人間性をはかる材料にならない一方的な愚痴らしい愚痴は案外心地良いのだ「そんなことがあったんだね」の一言で済むし、最悪意見が合わないとしても身内間だからこそ対立が肥大化することはない。それに比べてインターネットに溢れる愚痴というのは(愚痴とひと括りにするのはあまりに良くないのは承知だ)正義感や常識、思想だとかそういう難しいものが混ざり合っていて何ともコメントがしづらいもんで、よく内容も知らずに意見を言おうもんなら袋叩きになることも珍しくない。某映画のコラージュの件だとか、ここ数日インターネット内で物議を醸している某ライブの出来事だとか、某アイドルの恋愛とプロフェッショナル精神についてだとか、性自認や政治についての話もそうだ。

ここで声をあげないと世間は変化しない!ええ、ごもっともです。心が痛まないんですか?あなたみたいな人がいるから問題が絶えないんです。至極真っ当な意見で御座います。たぶん、きっと、いいや自他共に認めざるを得ないほどには私がひとでなしなだけとは思うが目にする意見すべてに抱く感情はどれも「うるせ〜犬とコアラの写真どこだよ」だった。

私が当事者であれば別だろうし、もしくは息を吸い込んだだけで懐に五億円が振り込まれる絵に描いたような億万長者であれば話は変わるんだろうが私は当事者でもなく、懐も寂しけりゃ上司に対して殺意を募らせるだけで精一杯の日々だ。酔っぱらいアッパラパー状態の私が「マジでひやむぎとそうめんを別物って言い出したやつ絶対にひとりっ子だろ」と理不尽に怒り心頭するのとはわけ違う、いまインターネットに溢れるのは明確な怒りの中に揺ぎ無い意見を持っていないといけない議題たちだ。誰しも関係がある故に繊細なんだ、簡単に人の逆鱗に触れる。喧嘩なんて面倒臭いもの好き好んで出来るほどの余裕はないし、怒るってのは労力がつきもので。たださえ暑くって疲れているのに他人の為に明確な怒りを持って、言葉にして伝える優しさみたいなものが欠如していた。それが本当の正義であっても、野次馬精神からくる中身のないものであってもすべて等しく「うるせ〜犬とコアラの写真どこだよ」と思ってしまうほど人の悲しいに寄り添えない、興味を持てない人間になってしまっていた。悲しいことなのはわかる、ひどいことなのもわかる。しかし共感と理解は全くもって別物で、頭で理解はしていても感情が刺激されることはない。

選挙には行くもののどんな日本にしていきたいなんて意見を掲げて声に出す余裕もなくって、今の政治に不満はあげられても改善策まで提案できるほど政治の仕組みを理解していない「政治のことは正直よくわかんないけど、馬鹿な私の為に選挙前に各政治家の考える改革?を分かりやすく教えてくれる友人のような人間は貴重だし、強いて言うなら票を入れる度に名前も曖昧なお偉いさんたちがインド映画よろしく踊り狂ってくれるみたいな、そういうの欲しいなぁとは思うよね」程度の浅い意見しか持ち合わせていない。勿論意見を、不満を語れる人は素晴らしいしかっこいい。意見を言葉にするまでの過程で得た知識だとか、人を思いやれる心や逞しさを私は素直に尊敬している。でも怒りを強制しないで欲しいのだ。私はあなた達の怒りに怒りをぶつけないので、どうか私が怒れないことに怒りをぶつけないでほしい。怒れない人間だって、じぶんの事で精一杯の人間もいる。世間に対する怒りだけが正義だけが、正しいだけが正しいわけじゃないことを理解してほしい。ここに共感は必要ない。この2日間のお暇の中でインターネットからほんの少し距離を置いてみて、余裕と考えるだけの暇を得た私の一時的な感情。まず根本としてインターネットに何を求めるか、何を目的として利用するかは人それぞれだから私がインターネットに癒やしを求めて「犬かコアラの画像しか載せるな!」と強制するのもおかしな話だ。

いや〜でもね、インターネット大好きだからな私。絶対に辞めないよ。ずっとみんな一緒にインターネット大好きオタクくんでいるからさ、みんなも私の手を繋いでいてね。あっ、今日の夕飯はカレーだったよ。


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