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はるか遠くの宇宙へ!


朝のランニングに失敗した。そして約二年半ぶりに胸元まであった髪をバッサリと25cm程切ったので、そのまま私は人生初のバッティングセンターに足を踏み入れることにした。脈絡も何もない文頭となったが私の中ではしっかり道理にかなっているのでこのまま話を続ける、今日以外はありえなかった。髪を切った日の午後に誰かに会いたくなる人間もいれば、人生初のバッティングセンターに行きたくなる人間もいるのだと思って聞いてほしい。

首元が妙に落ち着かないような、頭痛が多少マシになったような、そんな多くの気のせいを背負ってバッティングセンターの前で仁王立ちをしてみる私はこの時すでに「多分、というか絶対に一球も打てずに帰るんだろうな」と予感していた。これだけは気のせいではないと断言出来た。

幼い頃から私は自他共に認める頑固者であった。サーティーワンアイスクリームでは“バナナアンドストロベリー”しか自主的に注文しないし、びっくりドンキーでは“ハンバーグ&ビバ!ミートスパ”以外は食べないと決めている、美味しいとわかっているもの以外を頼む理由がわからなかった。マグロが嫌いだからきっとナマモノ全部苦手と思い込んで生魚全般が苦手と言い張っていた。私の失敗によって他の人に迷惑をかけるとわかっているから団体競技のスポーツはやらないし、読んで変わるなら人間苦労しないだろなんて可愛くない考えから自己啓発本もエッセイも読まなかった。好きだと知っている映画を繰り返し観て、好きだと知っている食べ物だけを口にしていた。知らないものは私にとって好きじゃないもので、ずっと嫌いなものを何となく嫌いなまま死んでいくんだろう。そんな感じの悪い死に方をするんだろうと思っていた。

しかし近年、何かを端緒として妙な恐怖心や凝り固まった偏見に好奇心が勝るようになり数年前の私からすると信じられないチャレンジ精神を発揮している。興味の欠片もなかったポケモンに詳しくなり、様々な理由から強い苦手意識を持っていたクレヨンしんちゃんやドラえもんといった作品にも触れるようになった。意地でも口にしなかった生魚を注文してみたり、中指を立てながら自己啓発本やお金についての本を読んだりしている(自分の中の許容が広がっただけで、好みが大きく変わったということもない。相も変わらず厨ニ病全開の趣味とカレーを私は愛している)

そうして気が付いたのが、案外苦手なものなんてなくって過度に怖がる必要も疑う意味もなかったということだ。世界って私の好きなものに溢れていて“これだけが生き甲斐”も“この人しかいない”も存在しない。お酒もカレーも大好きだけれどなくたって生きていけて、ホラー映画じゃなくても楽しく観れるけれどホラー映画が好きだから観る。好きな男じゃなくたってきっと私は幸せになれるし、好きな男のことをもっと幸せにしてあげられる人はいるんだろうけれどそれでも私が幸せにしたいし、好きな男と幸せになりたいから手を繋ぐんだ。代わりがあっても大切にしたい好きが、私の中にはたくさんある。

というわけで人生初の球打ちである。しかし事前準備も何もなく門を叩いた私を待ち構えていたのは豪速球で飛び出してくる真っ白な球、球、球…その球体が塩おむすびだとか白玉とかだったら話は変わるのだろうが残念ながらボール(軟式ボールなのか硬式ボールなのかは謎だ)「当たれば即死は免れない…やはり好きな男に愛してるの一つでも言っておけばよかった…」等とぶつぶつと呟きながらカウンターへ向かうと、どうやら受付等は必要ないらしく券売機での購入式らしい。ラーメン屋以外の券売機など触れた事もない私であったが何となくワンゲーム分を購入し、端っこに控えめに設置されている70キロのレーンに向かった。昨晩、フォロワーと電話をしている中で「これは球技全体に言えるんだけど、ボールが当たるまでちゃんと見るといいよ」という助言を頂いたのでひたすらに飛び出て来る真っ白なそれを見つめる、だけで当たるわけもない。隣のレーンで学生が次々と球を打ち返す中、ひとりボールを見つめて何となくバッドを振ってみる。当たり前に当たらない。そして日頃の運動不足の表れか、結果的にただバッドを振っているだけなのに汗が滲んできていた。時間の流れが恐ろしくゆったりに感じられ、楽しむ余裕もないどころか「…なんで私バッティングセンターに来たんだ?」と自分を責めたくもなった。この場に立ってみて改めて思う、ストレス発散にもならない(あくまで私に向いてないという意味で)豪速球で飛び出してくる球が怖くて考え事もクソもない。

それでも、不思議と来てよかったなとも思えた。私たちは幸せだって不幸せだって、そんなの関係なくいつだってうっすらと不安や恐怖心を抱えて生きている。それでも、それだからこそ些細であってもそれらを払拭したり、あるいは向き合っていく為に知っていくのだ。食わず嫌いの嫌いを口にした時にお世辞にも美味しいと言えないとしても「食べたことはないけど嫌い」は申し訳ないが「ゲボ不味いから嫌い」は申し訳無くない、だってゲボ不味いんだから。知る前から嫌ってちゃゲボ不味い食べ物だって可哀想で、知らないくせに!って責められても何も言えない。人生損してるよ、なんて余計なお世話にも言い返せない弱い自分にはなってしまう。経験は説得力に繋がるのだろう、もちろん自分を納得させて嫌いを許すことにも繋がる。「君には僕だけじゃないよ」と言われた時に「うるせー!知ってるけど一緒にいたいから一緒にいんだろー!」って言い返したい。無知は罪ではないとしても、知ろうとしないことは後に罰になるのだろうと思う。これは本当に持論だけど、これは私が息をしやすい為に掲げたい私専用のライフハックみたいなものだけど。

初めてのバッティングセンターは、十二球中一球だけ打ち返すという情けない結果で終えた。その一球だって漫画のように一瞬がスローモーションになるなんてことはない、ほんの一瞬の出来事で私は呆然とした。歓声があがるわけもない、あがるのは運動不足な自分の息ばかりだ。勿論おめでとうの言葉も花束も差し出されない。多分一生バッティングセンターに来ることはないし、そもそも私は野球が特別好きというわけでもない。それでも、その一瞬で私はそのボールの行く先について願った。たった一球のボールがはるか遠くの宇宙へ、大気圏を超えて、時間すらも超えて世の中は嫌いで溢れてて私にはこの人しかいないなんて思ってたあの頃の私の頭を撃ち抜けばいいのにと強く願った。

確かにまだ生活能力的に言えば一人で大丈夫とは言えないけれど、それでも独りになったって生きていけるほどこの世はそんな怖くないよ。めっちゃ好きで溢れてるよと。私は案外何でも楽しめて、なんでも好きになれて、文句言いながらもどこでも上手くやっていけるよと。それでもあなたがまだ出会えていない優しくて愛おしい人たちと一緒にいたいからってちっぽけでも努力できる私がいるよと。そう伝えて抱き締めてやりたかった。

マジ腕いてーです




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