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いい距離感とは。

最近アルバイト先を変えた。


約2年半務めたところだった。
辞めたくて辞めたくて訳ではない。だからなのか、最終日、勤務中、送別品と色紙を貰ったとき、虚無感というか喪失感というか何とも表し難い感情に襲われていた。


ここでの最初の店長さんには接客の基本を一から教えてもらった。人見知りの私にもうるさいくらい話しかけてくれて、うるさかったけれどそのおかげで他の人とも打ち解けることが出来た。店長が異動になったとき、最終日にお店で大号泣した。懐かしい。自分の最終日には泣かなかった。


色紙のメッセージを読みながらもやもやしていた。私が辞める一ヶ月前に別の店舗から異動してきた後輩くんのことがなんか引っかかる。自分よりも年下で歴も浅いけれど、自分よりも知識も技術も格段に上だった。普通なら劣等感を抱くかもしれない。私も多少なりには感じていたかもしれないが、それよりもすごいなあと尊敬する気持ちの方が強かった。だから敬語で話していたし、それなりのいい距離感を保っていたと思っている。


さて、いい距離感とはどんな距離感なのだろうか。彼からの色紙のメッセージに誕生日近いから一緒にお祝いしようと書いてあった。けれども私はその話題は真に受けてはいけないと思い、流れた、流したつもりでいた。彼は私のことをどう思っているのだろうか。私は彼のことをどう思っているのだろうか。


話しやすくてすぐ打ち解けられて、自分とも趣味が合う。誕生日も近い。何となくその場の流れで、じゃあ誕生日が近くなったら2人でお祝いしよう!なんて言い出したのは私だ。自分で言い出して自分で無かったことにしていた。2人で誕生日を祝う関係性、距離感とは。どんな距離感だろうか。


私の好きは知りたいと似ている。かれこれ数十年生きてきて最近ようやくと辿り着いた。趣味が合う、知識も技術も持ち合わせているのにも関わらず、腰が低い。物腰柔らか。けれど話してみると意外と子供っぽいところがある。業務中以外は敬語混じりのタメ語で話してくれる。この距離感の答えはどこにあるのだろうか。どうしても気になってしまう。知りたいという好奇心が勝つのか、それを超えた感情が自分の中にあるのか。知りたい。知らないといけない。そんな気がする。


とりあえずこれまたその場の流れで、ショッピングモールの案内をしてくれると言っていたので、それをお願いしてみようと思う。勝手に流さずに。


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