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平熱ダイアリー

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小説を書きながら考えたこと。子どもが生まれるまで。
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わたしのこと

【りん】 小説と日記を書く人。ときどき写真も。どこにでもいる女の子たちの特別な物語を書いています。舞台は京都が多め。noteでは日記とエッセイを投稿しています。 Web- 小説・日記・感想などテキストすべて twitter- 日常とお知らせ Instagram - 好きな本やおやつや雑貨 pixiv| エブリスタ- 小説 pixivFANBOX - 小説のあとがきと創作関係の記事 BOOTH - 紙媒体の書籍販売 Kindle -電子媒体の書籍販売 room - 好きなも

角を曲がった先で(平手友梨奈「角を曲がる」)

皆が期待するような人に絶対になれなくてごめんなさい 角を曲がるのこのフレーズを聴くたび、自身の中高生時代のことを思い出す。 期待されるイメージがある。自分らしくあれとも言われる。けどそのまま生きてしまったら周りの期待する風にはなれないという矛盾。 そんなものを抱えつつ、実際は画一的で面白味のかけらもない、期待されるイメージに沿おうとするどこにでもいる凡庸な女の子だった。角を曲がった先で思う。 そういう意味でこれは女の子ではなく、女の子だった人の曲だ。女の子の気持ちは女

期待

予定日から1週間経ったけれど、結局お腹の子は出てこず。このまま生まれなければ月曜に入院する予定。 11日に生まれたら令和元年11月11日生まれだねなんて言われて結局生まれなかったり、心配されたり。でも赤ちゃんは自分のいいタイミングで出てくるという言葉をきいて、まあそうだな、生まれる前から急かされるのもかわいそうだ、マイペースなあたりさすが私たちの子どもだと思い、相変わらずの1週間を過ごした。 今日は寒いのでパンを買って家で食べようと思っていたのだけれど、日が当たると暖かか

わがままとそうじゃないの境目

今日は予定日だったけれど、健診へ行き、買い物し、図書館へ寄り、特に何事もなく終わりそうだ。 予定日を過ぎたので今日の健診から毎回心拍モニタリングがある。お腹にパッドみたいなものを巻いて三十分ほど寝転ぶ。モニタリングの部屋は出産後の母子が過ごす病室と同じ棟にあるので、目をつぶって、わんわん泣く生まれたばかりの赤ちゃんの声をずっと聞いていた。お母さん呼んできて、とか看護師さんの声も絶えずする。 赤ちゃん中心にまわるその空間で、最初は泣いて眠って食べるだけで良かったのに、いつか

しゃべらなくても伝わる

今日から11月。引っ越してから一か月。いまだにこの土地には慣れない。いつかこの街のことも愛せるようになる時がくるのかなと考えながら毎日を過ごしている。 今日は予定日前の最後の健診だった。来週の今ごろには生まれているかもしれないと思うと、半分不安で半分楽しみ。子どもは無事生まれてくるだろうか、自分なんかに子育てができるのだろうか、危険な目にあわせてしまわないだろうかという気持ちと、早く会いたいという気持ちと。こうして書いてみると不安7、楽しみ3ぐらいだな。 でもそのたび「お

自分自身のアーカイブ

引越し作業でパソコンが手元にないため今日はスマホから日記を打っている。 明日から産休。今日で仕事はいったん終わりだった。 いつも帰り道に寄るスーパー。毎日と言っていいほど通って、店員さんの顔も覚えて、それぞれがどんな対応をするかも分かっているのに、もう立ち寄ることはない。最後の買い物を終えて手渡されたレシートには、次の火曜に使うとお肉が2割引になるクーポンがくっついていた。レシートの内容を家計簿に入力してこれを切り取って財布にしまうのが習慣だった。でも今日は家計簿に入力した

文学について語ることができない

来月から休みに入る。ということで職場の方々がささやかな会を開いてくれた。 話題はなぜだか主に文学のことだった。(仕事は全くそういうのとは関係ない)。 短編「懶惰の歌留多」で、最初の「い」に「生くることにも心せき、感ずることも急がるる」と書きつけた太宰治。若いうちは死を隣に感じながら生き、年をとってからはもっと生きたいと思いながら生きるのがいい。つまり生き急ぐということ。彼はそのままそういう生き方をして死んでいった。 けど気遣いとか常識とか、そういうのが色々あって、現実は

おしまいまでの日々

最近、また日記を画像にしてツイッターに投稿するようにした。 なので平日にこれを投稿して、金曜日に投稿していたこの日記は土日のうちに投稿しようと思っていた。 けれどだめだね。土日のうちに、とか、できれば、とかボンヤリした決め方だと、人はできません。ということでこの日記は更新日を金曜夜に戻して毎週書くことにした(とか言って今土曜日に更新しているけど)。 やはり日記を書いてると落ち着く。とまらない日々に石を置いていく感じ。ペーパーウエイトのような石を、週に一回。それが何に

性善説を信じることができたらよかった

1週間ぶりに仕事へ行く。 去年まで職場はこれ以上はないと思うぐらい快適だった。間違っても咎めない。指摘するだけ。それで間違った方は反省する。もうみんな大人だしね、という共通認識が職場全体にあって、みんながみんな快適に仕事できるように動いていた(だからといって変な同調圧力もない)。 それが今年の異動で変わってしまって、仕事に行くのが憂鬱になった。たとえそれが自分に対してでなくても、無視したり怒ったり嫌みを言ったりする人が一人でもいたら、作業効率がとても下がってしまう。仕事の

大切なものだけ選べたらいいのに

帰省の準備やらなんやらしていたら日記更新しそびれていた。というわけで、実家に帰ってきています。 やっと一人で落ち着く時間ができて、今は布団に寝転びながらこの文章を打っている。それまでは音楽を聴いていた。歌詞を追いながら。 今はサブスクで気になった曲がすぐに聴ける。歌詞だってすぐ読める。なのにそんなことをしたのは久しぶりだった気がする。聴ける曲が多くなった分、最近はなんか何言ってっかよく分かんないけど聴いてるみたいな状態がよくある(たぶん加齢のせいもある)。昔は買ったりレン

不確かな未来へ舵を切る

先週は日記をおやすみしてしまった。なぜかというと、小説を書いていたから。 小説を書く過程を書くのが創作日記なのに、いざ小説を書き始めると日記を書く手が止まる。小説を書く手が止まったときは、日記を書く。そういえば自分はそういう一つのことしか視界に入れることができない不器用な人間だったなと気づく。 つまりこれは「創作日記」ではなく「創作できない日記」なのかもしれない。なんてこった。小説書きつつ日記も書けるぐらいバランスのよい人になりたいものです。 ・・・ 日記をさぼった甲

奇跡

子どもができてから、ここにいるみんながちゃんと生きていることは奇跡だと思うようになった。当たり前のことだし前から思っていたけれど、ちょっと違う風に感じるようになった。 昔、東日本大震災のドキュメンタリーで、生徒と同じ年頃の子どもを亡くした中学校の先生が言っていた。「子どもを亡くした今、生徒たちが人間である以前に"命"にみえる」と。 そういう感覚をなんとなく伴うようになった。優しい人、無口な人、気の短い人。道徳的によい行いをする人、悪いことばかりする人。そういう性格やそれを

みんな等しく物語をもっている

金曜日の夜。仕事から帰ってきて、クーラーの効いた部屋で解放感に浸っている。こういうのは久しぶりな気がする。明日から三連休だからかな。 幼い頃の名残りからか、この三連休は夏休みが始まる予感を含んでいるようで、他の三連休より少し特別な感じがする。旅行に行くのもこの連休が多い気がする。今年は鹿児島と熊本へ行く。 ツイッターにも書いたけれど、昨年は埼玉の友だちの家へ遊びに行った。 金曜日の仕事終わりに京都へ行って、鉾のあいだを歩いてから、土曜の早朝に家を出て新幹線に乗ったんだ。

選びとられなかったありのまま

短編の切れ端を書き、話の筋を考えた。久しぶりに文字を打つ指がすらすら動いた。 --- 次女も三女もしあわせなことになにかしらの賞をいただき、次はそれ以上のものを書かないと、それより一つでも上をいく点を作らないと、じゃないとがっかりされると思うとテキストエディタをひらくのも億劫になっていた。誰が期待してるわけでもない。期待してるのは自分自身だけなのに。 なので書きかけの長編をいったん置いておくことにした。この長編は次女を書く前にも手をつけて一度置いておこうという運びになっ