言葉を使わず触れるのも一種の会話
自分はいじめを受けていたらしい。
"らしい"というのも自分で自覚が無かったから。だけど少し分かるようになってから写真を見ると自分一人だけとかが多かった。いじめられていたような気もするし、そうでないようにも思う。グループからはぶかれていたのか、それとも自分から一人でいたのか。今となっては思い出せない。
この歳になってから考えてみると逆に当時自分でいじめられているって感覚を自覚していなくて良かったな、と思う。
いじめを自覚していなかったのは自分が鈍かったのもあるのだろう。
ただ、もし自覚していても自分一人では解決できなかっただろう。頼れる大人も近くにはいない。先生に頼っても、お互いが何となく謝って表向きだけ解決させて話が終わってしまうような気がした。
特に親には相談はしなかったと思う。「いじめられている」と口に出したとして自分が恐れていたのは、自分を置き去りにして親がズンズンと問題を解決しようとして進んでしまうことだった。
勝手に先生と話したり、いじめてくる相手を無理やり謝らせたりしないだろうか。自分はただ親に相談に乗って欲しいだけだったのに、親の独断で勝手に行動されクラスやそもそもの学校にも行きにくくなる気がした。
自分の不安は、いじめがエスカレートすることよりも、親が勝手に動き始めてしまうことにあった。よくテレビとかで聞く「親である私たちには相談して欲しかった」って言葉、まぁそうなんだろうけど自分にはムリだ。もし今、誰かにいじめられたとしても、それは今だからこそ余計に相談できないと思えた。
親に相談をすると、前置きに「聞くだけにして」と言っても結局は一言ついてくる。
自分は本当に聞いてほしいだけで、アドバイスも何もいらない。ただ、今の自分をどうにかして言葉にしたいだけなのに最後には「こうしたほうがいいんじゃない?」と一言添えられてしまう。
自分はその一言がどうしても嫌なのでどちらにしろその一言がそもそも要らないから親には相談しようとは思わない。だいたい言っても「ふーん」やら「そう」で片付けられてしまう。そう言われるのを前もって分かっているのに言うのはもう面倒だ。
話しただけではなにもうまくいかない。話したとたんに、物事が大きくなり自分だけの話ではなくなってしまう。だから子供は子供なりに加減というか空気を読んで言わないという選択肢を出してしまう事になる、自分はそうだった。
親に相談する、っていう選択肢を導き出す子も勿論いるとは思うのだけど自分には中々出せない決断だと思う。
自分は最近、心にポッカリと穴が空いた感覚になってしまって虚しく悲しくなる。昨日の夜もそうだ。特にきっかけは無いけれど、寝る前になると心の穴の存在をぼんやりと感じる。
親にそれを伝えてみたら「暇だからだよ、考える時間が増えてるから下手なこと考えてるだけ。」なんて言いくるめられて、そうなのかなぁ…と思ってしまう。反論する言葉も見つからないけれど、なんだか納得できないような気持ち。
そして、その気持ちはすぐに言葉にならないし、何度相談してもなかなかわかってもらえない。
自分はただ「生きろ」と言ってほしかった。「生きていてほしい」と言葉にしてほしかった。自分の悩みを一時の気まぐれみたいに扱わずに、ただ抱きしめてほしかった。
自分は抱きしめる行為は1つの会話だと思っている。喋らないし体温と鼓動しか感じないけれど自分にとっては会話だ。外国の人が初対面時に抱き合うあの感じの挨拶の様なコミュニケーションが理想。
何度相談をしてもちょっと違うなと思ってしまう親だけど「ねぇ、ちょっと手貸して」と言い、テーブルの下から出てくる手を両手で握る。これも自分にとっては一種の会話。
だから自分は「手、かして」と母に言う。そして黙って、手を触って何度か握っている。言葉にするのが苦手な自分なりのコミュニケーションの方法。触っているとすごく落ち着くし、自分が少し満たされていくのを感じる。それは多分、親に伝わってはいないけど「もっとこうしてほしい」だなんてわがままと思えてとても言えない。
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添削:キッチンタイマー
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▼今回はリアル友達にも協力をして頂き共同で文章を作成しました
ありがとうございました。
▽以前自分が投稿した文から引っ張ってきている所もある為
カスタムして書いている部分もあります。
▼前回の投稿辺りから強調したい部分を太い文字にしています。
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