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さいしょの違和感



学生時代の頃から生理が重い方だった。出血も多く、痛みは生理来る前から始まり生理が終わるまで続く。そして生理不順。これが私の普通でした。


20歳のある時
3〜4ヶ月ほど生理が来なかった時があり、念のため妊娠検査薬をしたが陰性。
なんでだろうと婦人科に罹ったら「排卵不全」
卵子が小さい、育たない。育っても上手く排卵できない。
「不妊治療しますか?」と言われ、この時初めて「子どもを産めないかもしれない」可能性がありました。

排卵誘発の注射を打ち、今度は出血が止まらなくなってしまい止血の注射打った。お尻に筋肉注射、これがまた痛い。
何度か繰り返し、肉体的にも精神的にも私は疲れてしまった。今までのように生理も来始めて、通院を辞めてしまいました。



23歳くらいの時に不正出血が続き、婦人科へ
採血し、エコー検査、その時は出血を止める薬をもらい服用をしたらすぐに改善した。副作用もなく、良かったー!なんて思いながら採血の結果を聞きに「貧血気味なので食生活などで改善してください。それと子宮内膜症ですね」なんて言われた。この時は毎日が必死で頭がそっちまで回らなかった。また来てください、の言葉を聞き流してしまった。



25歳くらいの時
ふとした拍子に献血ルームに行ったら、献血しても問題ない血なのか事前検査をされ、
『Hb9.8g/dLなので献血出来ません、もしこの数値がずっと続くようであれば出来るだけ早めに病院に行ってください』と言われた。この数字がなんの意味があるのかもわからず、知識もなく、圧倒され聞くこともできずに献血カードとジュースを渡されて帰った。

そういえば前に貧血気味って言われてたなぁとぼんやり思いその献血カードはケースにしまったままになっていた。



人間関係のストレス、破局、転職、引越しなどを繰り返し心身ともに限界が近かった。



26歳の時くらいから今まで以上に生理が重くなった。
タンポンが1時間で交換しなくてはいけない。寝ている時に大きめのナプキンをつけていても経血漏れ。生理1日目は腹痛や腰痛がひどく立つことすら難しくて仕事を休むしかない。
おかしいなぁなんて思いながらピルを貰いに行ったらケロッと良くなった。半年続けたが経済的にも身体的(副作用)にも辛く辞めてしまった。

暫くして通っていた婦人科クリニックの先生がガンで亡くなった。先生は末期の肺がんだった。もう治す手立てがないなら命が果てるギリギリまで自分の患者を診る、という決意をしていたそうだ。私がお母さんのお腹の中にいる時からお世話になっていた先生だったので中々にショックが大きかった。それから一切病院に行かなくなってしまった。



そして28歳の夏。7月。
ルナルナをつけていたので月経の回数が異常なのがハッキリしていた。

6/15〜6/21にクソオモ生理、耐えた。
2週間後 7/5〜7/10
クソオモ生理、ピュアやロキソニンを飲みながら耐えた。痛み止め飲み過ぎで胃が荒れた。胃薬も飲んだ。生理が重すぎて吐き気だけでは治らずに吐いた日も何日かあった。

すぐ10日後 7/20〜からまた出血があった。



女子の皆さんならお分かりいただけるだろうが、小指の爪サイズの血の塊みたいなのがポロッと落ちることが時々ある。

その時の私はカッププリンみたいな大きさの血の塊がボロボロと落ちていた。出る瞬間の気持ち悪さと腹痛はまだ覚えている。

仕事が忙しかった、は多分言い訳。でもすぐに病院に行くという頭が何故かなかった。コロナ禍で収入も減りお金を捻出するのも惜しかった。けど異常なまでの出血量と刃物で刺されているようなお腹の痛みが続き、これはまずいな明日病院に行こうと決めて仕事していた。



そして身体が思うように動かずに職場で弱音を溢した。

10歩歩くだけで息切れ、そして異様な疲れ。
座ってしまうとしばらく立つことができないから休憩に行くことを拒んだ。集中力がなくミスも連発。少し歩くだけで出血するので下半身の気持ち悪さ。
顔色悪いよ、なんて上司から言われ、なら代わってくれ、とは言えずにひたすら鎮痛剤を飲み、耐えた。

退勤して車に乗り込んで自分の無力さに泣いた。7/28の深夜だった。

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