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病理結果、子宮体がん宣告



地元から隣の市の大きい病院へは片道1時間半かけて通院するので予約の時間は遅めの時間。朝ゆっくり出来るのは本当に有難い。気遣いの塊。
のんびり運転して受付。そして呼ばれる。


その後どうですか〜なんて話しながら先生の触るパソコンに目がいく。病理結果のページを開いた先生が小さく「えっ」って言ったのをわたしは聞き逃さなかった。


卵巣嚢腫の大きい方は、成熟嚢胞性奇形腫
所謂脂肪や髪の毛、歯などが溜まった腫瘍。ブラックジャックが好きな方はお分かりだろう。俗にいうピノコ。
こちらは良性でした。問題ありません。

けどちょっと筋腫の方が、、、と言い澱んでる様子。
モニターに映された「子宮体がん」という文字

今日はお一人ですか?の問いはYES
すみません、お伝えしていいですか、と改めて畏まられるとちょっとビビる。

どうぞ、というと先生はゆっくり丁寧に話しかけてくれた。




摘出した子宮筋腫から発覚した子宮体がんという病理の結果。

子宮体がんは、40代〜60代の閉経後の女性が罹患しやすい傾向にあると教えてくれた。だが若い人もなる可能性は0ではないことも教えてくれた。

私の結果は子宮体がん、類内膜癌のG2



所見ではステージIB期だが、まだはっきりとはしない。

子宮体がんのステージはがんの大きさだけでなく、子宮の筋肉の層内にがんがどの程度深く入っているか、リンパ節転移や肺などへの遠隔転移があるかどうかで分類されるらしい(表参照)
子宮体がんでは、手術で摘出したものを病理学的に診断した結果をもとに、がんがどの程度広がっていたかを調べて決定する、ので現段階ではまだハッキリしない。取らないと、何も分からない。

子宮内膜異形増殖症の可能性もあるかもしれない。それであれば子宮を残してホルモン治療は出来る…が、その可能性は極めて低いだろう、と。

子宮体がんの中でも種類があり、グレードというのも存在する。

がんのタチの悪さから悪性度が低く予後が比較的良好な高分化型(G1:グレード1)、次に中分化型(G2:グレード2)
悪性度が高く増殖・転移が速く予後が悪い低分化型(G3:グレード3)に分けられる。

参考元
日本婦人科腫瘍学会
がん情報サービス(子宮体がん)


子宮体がん検査します!と細胞診
これってどうなの?筋腫取ってガンって言われたのに、細胞診して結果って変わるの?って思ってた。

そして体癌検査すんごく痛い!!!ラミナリアよりは痛くないと言い聞かせて深呼吸。痛くて涙は出た。


診察室に戻り、子宮体がんの場合 子宮摘出が一般的な手術であると。
ご結婚の予定は?将来子供欲しいとか考えてる?まだ独身だもんね…?とすごく聞いてくる。



いやそりゃそうよね。まだ28歳よ。そのうち結婚できるでしょ、とか考えてたし、子どもはあんまり得意ではなかったけどいつか子ども産みたいな、なんて思ってたし。去年の誕生日お父さんに早く孫見せれるようにするわ、なんて言ってたくせに、馬鹿みたいに仕事人間だから恋愛なんて全部後回しにしちゃってたし。



先生と話してる時に、あれ?誰の話をしてるんだっけ?って
全然現実が受け止められず、でも涙は出ない。

子宮を取るにしても、今回卵巣嚢腫は綺麗に取ったので卵巣は残せます。結婚の予定はないんだもんね…そっか…って話を30分以上した。

…また来週来れますか?僕も病理の先生と少し話してみます。ゆっくり考えてください。
と。


ぼーっとした頭で待合室の椅子に座る。多分正気は失ってた。
LINEを開きお母さん宛に「子宮体がんの可能性があるって言われちゃった」って送るしかなく。


どうやって会計を済ませたか正直覚えてなかったけど領収証は手元にあったので普通に済ませたんだ思う。


車に戻ってしばらく放心状態。
車の中で少し休んで帰路へ。
少しずつ涙が溢れてきて、涙が止まらないところでコンビニの駐車場へ入り。落ち着いてきて車を走らせ、また泣いて、止まって、を帰宅するまで繰り返した。
サングラス持っといてよかった。
片道1時間半の道を、2時間半かけて帰った。


わたしの愛する大親友様にも伝えた。
電話が来ていたが運転中だったので出ることが出来ず。


長生きしてほしいし、将来一緒に老人ホームで暮らすんだから、枕投げできるくらい常に元気でいてもらわないと困る、とメッセージが入っておりまた涙腺崩壊。
ていうか老人ホームで枕投げはすんな。


帰宅し部屋に引きこもる。
一人になりたかった。一人で泣きたかった。


あぁもう子どもが産めなくなる可能性、ではなく
子どもが産めない、になるんだなと思った。


お母さんから返信が来ていた。心配しているようだったが一人になりたかった。今は誰とも話したくない。少しだけ閉じこもりたい。

けどつらい、誰かに聞いて欲しい。聞いてもらったところで相手は困るでしょ、やめとこう。のせめぎ合い。


けど親はそんなことお構いなしである。
仕事を終えたお母さんが家へ押しかけてくる。心配なのはわかるしショックなのもわかるけど明日にしてくれ、そんな言葉は飲み込んだ。


叔母は12年前に子宮体がん(同じステージ、同じグレード)で子宮も卵巣も全て取っていた。がんって言われたよっていうと心配はしてくれたが子宮取るしかないよね、って。


分かってる。覚悟も決まらないし現実も飲み込めない。
黙っといてくれ、なんて言えずに、そうだねっていうしかなかった。


その日はご飯も食べれず水もほとんど飲めず。
泣き疲れて寝てしまった。
がん宣告をされ長い一日を終えた。8月最後の日だった。


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