見出し画像

ふらり旅#2-2

3日間ほど滞在したゲストハウスに別れを告げて、烏丸御池の駅に足を向けた。羽織ったコートの隙間から、朝の冷えた空気が忍び込んできた。
お腹の辺りからじわりと冷たくなるのを感じて、思わず肩がぐっと上がった。

バスも電車も紅葉を見に行く観光客でごちゃごちゃに詰まって、息をするのがなんだか苦しかった。好きな人に好意を返されないときみたいな、寂しさと苦しさが満員電車にはある気がした。そんなことを考えたのも、読みかけの武者小路実篤『友情』が手元にあったからだと思う。あんなに一心に誰かに惹かれるとは素晴らしく、その思いは美しいとさえ思えた。ただ私には杉子の良さがわからなかったし、最終的には恋は人間の美しさを引き出す一方で、醜さも引き出すのだと覚った。

深緑の葉が少しずつ紅に染まる京都は、最良の季節と言われるだけのことはあった。東福寺を目指してツアー客をぐんぐん抜かし、スタスタと歩みを進めた私は、急に目の前に現れた紅い川に息を飲んだ。一面の紅い紅葉は自分の美しさを理解し、それを最大限に活かして人間を吸い寄せていた。

紅葉の色に驚いたのは束の間で、向こう側に見える橋の上がもっと私を驚かせた。橋が黒で塗りつぶされていた。あそこに一体どのくらいの人が詰め込まれているんだろう。

どこの庭も美しく、足を止めて見ほれては静謐な空気に目頭が少し熱くなった。

東福寺の山門を表側から見ようと歩いていると、左手にある「五社大明神」が目に入った。重なって立つ鳥居の向こう側に、登りの階段とその脇に並ぶ灯篭が見えた。

「この道を進んだらきっと、人間界と神の世界の中間にいくんだ」

そんな思いがして、一人奥の社に向けて一歩を踏み出した。

歩みを進めるたびに、空気が変わって行くような気がした。階段を登りきったところには両脇に睨みをきかした狛犬が佇んでいた。どちらの狛犬の前にもどんぐりが一粒おかれており、人間じゃない誰かがここに置いたのかな。なんてことを考えながら、神様にご挨拶をした。

階段を降って鳥居を潜っている最中に、風が吹いてすぐ近くに生えていた木を揺らした。

「カラン」

いい音が一つして足元を見回すとたくさんのどんぐりが落ちていた。そこで初めてどんぐりが落ちた音だと気づいた。

「もしかしたら、神様に見られていたのかも。」

そんな妄想をして楽しい気分になって、鳥居に向かって一礼。

軽い足取りで知り合いに聞いた百間便所へ向かった。

格子の間から向こうに広がる雪隠を見回した私は、庭ほどの感動もなく、神社ほどの神秘性も感じられず、

「トイレって随分発展したんだな」

なんてつまらないことを考えていた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?