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見るということ

わたしは作品を見るとき

バレエでも
絵でも
彫刻でも
小説でも

自分と他者の境界が曖昧なのだ。

最近、バレエを見ていて
「わたしではない、このバレリーナという存在」
という見方が少しできた。

ひとつの存在の確認
何処までがわたしで何処からが他人か

今まではわかりすぎることで
憧れの表現者のなぞらえが起きたり
それを何処までも追いかけたり
別人になりたかったりした。

「あまだれ」

ひとつの存在であるわたしが
他人とわたしの境界を超えた後の
確固たるわたしであるということを
知る道のり

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