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渋谷スクランブルスクエアのタイル.2019.11.06のこと.

朝。アルバイトに向かう。満員電車での最適化。なんというか、こういう細かな内容に関して最適化する事で、非常に特殊なシステムが生まれるのだが、ドラスティックな環境の変化に対してはなんの知見にもならない、みたいな話はたくさんあるのだろうなと思う。

アルバイト。徐々に手癖が収斂されていくことの心地よさがある。出た問題に対して様々なパターンがブワッと展開され、手応えのあるパターンに収斂され...の繰り返し。ハイデガーのテクネーとゲシュテル。前段の話にも繋がるけど、身体と物理の相互間でのアジャイル開発、みたいな感覚がある。

研究室から吉報が届く。以前の自分は、過剰に競争的な身体だったのだと振り返る。周囲に影響を受けるたび、自身を加速させていた。けれど、最近はそのモードからすっかり離れている。単純な言葉で、自分の使命とかやるべきことがわかっている感覚がある。僕は僕の範囲内で有限化し、自分のリズムを作る。制作はきっと、内在的なリズム、あるいはそれらの掛け合わせによってのみ行われる。

夜。渋谷。スクランブルスクエアに訪れた。内装材が気になる。6Fタイルの疎密による境界のグラデーション、それによる界隈の生成が面白い。タイルの粗密でグラデーション、みたいなのは割とある手法ではあるが、施設の経営スタイルと絡めてみると興味深い。東急とJR東と東京メトロが出資しているので、基本的には百貨店方式の経営スタイルだろうか。百貨店方式では簡単にいうとテナント全体で利益を作ろうとするスタイル。だとすると、個々のテナントの境界を厳密に規定するのではなく、タイルの疎密による緩やかな境界性を作り、フロアでの雰囲気を設計する。その百貨店方式の経営スタイルとは反対に、ショッピングモールは基本的に不動産業。場所の価値を作り、賃料を要求する。個々のテナントはバラバラで、売り上げが低いところは交換可能、みたいなスタイル。この辺りの話は下記の本に詳しい。


後輩ともんじゃとお好み焼きを食べる。当たり前だけど、他者には汲み尽くせない履歴がある。一見して判断し解釈するのはほとんど暴力だ。だから何かを単純化して解釈してしまう自分の思考パターンと出会うたび、人間=経験的超越論的二重体として生きることはかくも難しいものだなぁと思わざるを得ない。

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