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資本主義と移動、あるいはビニルタイルについて.2019.10.30のこと.

朝。日差しで目が覚める。レースカーテンのみの生活が1年半続いている。以前住んでいた場所は、北面採光だったので、一年中洞窟のような環境で生活していた。それに比べるとコントラストがある。遮光カーテンをネットで見ては、まだいらないなと思う生活が1年以上続いている。ちなみにレースカーテンはノンプリーツかつ片開きのものだ。閉めた時、薄いスクエアの皮膜のようになる。気に入っている。

昼。支度して大学の図書館へ。学祭が近づいている。学内に仮設の構築物がパラパラと点在し始める。看板は、ほとんどが塗料による絵。手触りがあり、可愛げですらある。

図書館で1980年以降の雑誌近代建築を閲覧。インテリジェントビルやゴルフクラブがホットワード。目的の資料に当たるためには、RIA、東畑、東急設計などを調査するのがベターか。

途中、『金持ちはなぜ高いところに住みたがるのか』が気になり読み漁る。高層建築物における屋上ー屋根裏は、ネガティブな存在だった。物置あるいは、居候が間借りし貧相な生活をしている場所のイメージ。が、エレベータの出現によって、どの階もアクセスが容易になり、一転してポジティブな場所へと変容した。また、縦方向に入り組んでいた建物を、整然としたフロアごとに区分させ、垂直方向へと均一化させた。

20世紀の移動は極めてなめらかなのではないか。例えば、20世紀の商空間はビニルタイルと共にある。(ちなみに日本の百貨店では当初靴を脱いで上がっていたらしい。現代では考えられないが。)20世紀の建築は垂直水平ともに車輪と共依存的な関係を持っていたのではないか。人々の移動をフラットにする道具。意味的にも物理的にも。ミクロにはコンビニで、マクロには空港。資本主義、商業行為のエージェントとして、人々は止まることなく移動し続ける。それを道具的、透明な存在として阻害しない空間が立ち上がる。

これは、ある側面では、SNSでビッグデータのエージェントとして、報酬系に刺激を与えるため、無限にタイムラインをスクロールさせられているユーザーの似姿ではないだろうか。僕には同じように思える。

夜。鳥鍋を食べる。ご飯を入れて、溶き卵を流し、醤油を一回ししてシメにした。

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