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見たくないものを見てしまう

やるなと言われたことはやりたくなってしまうし、触るなと言われたものは触りたくなってしまう。
専門家ではないので詳しいことはわからないが、きっと人間はそういう脳の構造をしているんだと思う。

ツイ廃のわたしには「X」や「ポスト」は言い慣れないので、あえて「Twitter」「ツイート」と呼ばせてもらう。


わたしは、傷つくとわかっていても推しのTwitterや同担のアカウントを細かく覗いてしまう行為がやめられない。
怖いもの見たさというやつだ。

これは2次元のオタクだった時からそうで、同担を視界に入れないためにせっかくミュートしていても、わざわざミュート一覧から引っ張り出してきた同担のTwitterを片っ端からチェックしていた。
新規イラストや新規グッズが出た時は、絶対に同担が推しに沸いているのに見るのをやめられなかった。


特にこれといって理由はないが、3次元のオタクになってから同担は1人もミュートしていない。

だから、見たくもないのに推しのフォロワー欄やツイートのリプ欄、いいね欄を頻繁に覗いて、気になる同担やリプを送った同担のアカウントを覗きに行くというサイクルが出来上がってしまう。
同担をフォローしているわけではないのに、同担が推しに送ったリプがタイムラインのおすすめに流れてきたりもする。何もおすすめではない。

そして見に行ったところで案の定良いことは1つもない。

大体、配信に毎回顔を出して多くのコメントを残して大量の投げ銭をして毎度リプを送っているような同担は、推しが無名だった頃からの古参オタクなことが多い。
何年も前から推しに愛のこもったリプを送っているし、わたしが知らない推しの別アカウントをフォローしていたりする。

時間は戻らないのに同担のアカウントを見て推し歴の長さや推しに対する知識量に嫉妬して、推しのことをあまり知らない上に推しとの思い出が極端に少ない自分が嫌になる。

まだまだこれから一緒に思い出を作れるよと慰められようと、そんなものはただの気休めにしかならない。少しも納得しない。
どうにもならない事だってわかっているけど、わたしは無名だった頃の過去の彼もまとめて知りたいし、まとめて愛したいのに。

こんなに胸が苦しくなるほど、いっそ嫌いになりたいと願うほど好きでも、やっぱりそういう昔から変わらず彼に愛情を注いできた同担には絶対に勝てないと認めざるを得ないのがとてつもなく悔しい。


そもそも同担に敵意やライバル意識がない人には勝った負けたの話ではないと言われそうだが、そんなのことはわかっている。
1人で勝手に敵意をむき出しにして1人で勝手に戦って1人で勝手に敗北している意味不明なオタクだと思われても仕方がない。

それでも、どうせ推すなら一番が良い。


わたしは推しに甘くて可愛いリプも送れないし、メンションをつけて推し活の様子を載せる勇気もない。

だからそういうオタクがいると、きっと推しは可愛いなって思ってるんだろうなとかすぐ認知するんだろうなとか考えてしまう。
自分だって同じようにやれば良いのに、やっぱり推しに少しでもマイナスなイメージを持たれるのが怖くて何もできない。
それなのにわざわざツイートを覗いて同担を妬むなんて本当に馬鹿らしい。


推しを傷つけたくはないから、同担を晒し上げたりするような害悪行為は今後も絶対にするつもりはない。
だからこれからも自分で勝手に覗いて勝手に傷つくだけだと思う。

自分の推し活に自信を持って、同担と比べるようなこともなくなれば楽になれるのに、わたしの脳はいくら言い聞かせても無駄に傷つく行為をやめられない。

それはもう仕方がないとして、わたしが過去に注げなかった愛情までこれからの推しにたくさん注ごうと思う。


汚い感情は心の奥底にしまって、綺麗な愛だけ。

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