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認知されたいけどされたくない、けど認知されたい

皆さんは推しに認知されたい派だろうか、されたくない派だろうか。

2次元オタク出身のわたしにはずっと推しに認知されるという概念はなかった。
だから3次元に推しができた最近になってどうしたものかと悩み始めた大きな課題である。


SNSのアカウントでさえ推しに認知されたくないというオタクも一定数いると思うが、わたしはどちらかというと認知されたら嬉しいなと思うタイプだ。

だから配信には毎回顔を出して頻繁にコメントや投げ銭をするし、ツイートには毎回いいねして2〜3回に1回はリプを送るし、動画にもコメントやリアクションを毎回残したりする。

推しは「みんなのアイコンと名前は一致してる」と言ってくれるが、わたしはどこまで行っても何をしても推しに認知されていると思えない。
ああ、この子のことは認知してるんだなと思う出来事も多々あるが、いいなってやっぱり妬んでしまう。

わたしのアイコンが何でこんなことを言っていた子で…なんてそんな細かく認知されたいわけじゃないけど、「あ、○○ちゃんだ」って思ってもらえるくらいは認知されたい。
推しはたくさんのファンを抱えているから認知のハードルは高いし、認知されたいと願ってしまうのもいけないことなんだろうか。


一方で、生身のわたしのことは認知されたくない。

SNS上で認知されるのなら一向に構わないのだが、そのわたしのアカウントとわたしの生身が一致してしまった場合、話は別だ。
幸いなことに推しはオフ会やファンミーティングをやるような活動者ではないから、わたしの生身とSNSアカウントが一致することはない。

でも今後、やっぱりそういうこともやりたいという野望が少なからずあるらしく、もし大好きな推しに会える日が来たとしても会いに行かないかもしれない。

わたしは推しのことを眺めたいけど、推しの視界には入りたくない。
そんなことしたら推しの目が腐ってしまう。
推しと同じ空気を吸いたいけど、推しにはわたしと同じ空気を吸わせたくない。
そんなことしたら推しの肺が汚れてしまう。

SNSのことは言わずに交流すれば良いのだろうが、いつかどこかでボロが出そうだし、何より同担と仲良しこよしが無理なわたしには同担しかいない空間はいくら推しがいようと苦痛だ。


万人受けするような身なりをして、お顔もお化粧も可愛ければ生身の自分も含めて認知されたいって思ったりしたのかなと考えたりする。

推しと交流するアカウントに顔や雰囲気の画像を載せている同担もいるがシンプルにすげぇなとしか思わない。
わたしは推しに好かれてもいないくせに何故か嫌われる自信しかないから雰囲気も体のパーツもネイルの一部だって何もかも載せないし隠している。
マイナスが0になるならまだしも、0がマイナスになったらそれこそ生きていけない。

でもきっと、推しはわたしたちオタクが思っている以上にオタクのことなんて気にしていない。
たくさんのファンを抱えて、プライベートでもモテるであろう推しからしてみればわたしたちオタクがいくら可愛く見せても「はいはい」といった感じだろう。
だから考えすぎだと言われればそれまでなのだが、やっぱり好きな人にどう見られているかは気になってしまうのが人間の性だ。


生身の認知は可能性が0に近いので置いておいて、やっぱりSNSは認知されたい。

絶対にそんな日は来ないけど、今日は配信にいないのかとか今日はコメント残してくれないのかとか思ってもらえるくらいになったら死んでもいいな。

わたしより少し遅れてファンになった子は、名前とアイコンを覚えられて認知されていた。
初見の時から推しに構ってもらっていたし、オキニかなとモヤモヤした。
わたしの方が多く投げ銭しているしリプも動画の感想も配信のコメントも頻繁に送っているのに、と思ってしまった。

本当にわたしの心は醜くて汚い。
なんでこんな嫌な奴になってしまうんだろう。
認知されてよかったね、構ってもらえてよかったねって思えるような心の澄んだ仏のようなオタクになりたかった。
そんな同担拒否はいないか。

推しに認知されてるって思えるような出来事があったら絶対に記事を書くだろうから、どうかその日が来るように地道に推し活を頑張ろうと思う。


あーーーーーーー!!認知されたい!!!!

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