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自分の感受性くらい


日々の雑多日記(久しぶり)



惜しみないエールを頑張るあなたへ!

親友に誘ってもらい、ゆずのライブに行ってきた!あまりたくさんの曲を知らない私でも、いまだに余韻に浸るくらい素敵なライブでした。

約1年前、生活がままならないほど辛かった時に、親友とゆずの曲には助けてもらったから、ライブの間色んな思いが込みあげてきて、胸が震えた。そしてゆずって、抽象的な言葉でオブラートに包むことなく、人に元気や勇気を与えられる人たちだって気づいた。複雑な言葉を自分なりに読み取ることが好きな私にとって、それってかなり新鮮なことだった。真っ直ぐなエールの言葉に恥ずかしくならず、ド直球のストレートな言葉をキャッチャーのように受け取って、力が漲った元気が湧いた。「心からあなたにエールを歌ういつの日も」「惜しみない拍手を、頑張るあなたへ」ああ、明日も頑張ろ〜って楽しく帰れた。

ライブの1週間前くらい、親友に「あと1週間でライブだから仕事頑張れるわ〜」と言ったら、「seiはいつも頑張ってるでしょ(笑)」と普通に言われて、拍子抜けした。私頑張ってるか、そうか、、って力が抜けたりもした。そういえば、1年前親友が「たった1度きりの人生だもん、死ぬほど転んで見つかる大切な宝物もあるよ、ちょっと寄り道もしよう」って言葉をくれたんだけど、あれゆずの歌の歌詞だったんだね。なんか事あるごとに親友に救われてる。忘れられないくらい大切な言葉です。


心の中を言語化すること

心の中に渦巻く感情がモヤモヤ〜って靄がかかっている時が物凄く辛いから、言語化するためにnoteを始めたというのもある。

会社で凄く仲良くしてくれる先輩は、今まで人生で出会った人の中で1番会話が上手な人。自分の話もしつつ、話している人を引き出すことが上手で、褒めるのも嫌味がなく自然、その先輩と話すとみんな凄く楽しそう。そんな先輩にこの間「私が今まで出会った人の中で、seiちゃんの話が一番面白い!」と言ってもらえた。私は会話が上手ではないけど、あったことを面白おかしく話すのが好きだから、「面白い」と言ってもらえたのは、結構光栄なことだった。

その先輩と話すと、自分の感情が凄く整理されることに最近気づいた。「こんなことがあって、こう思った」という私の言葉に、「たとえば、これがこうなったときに、こう思うってこと?」と返答してくれたりする。そうすると、自然と自分の感情が整理されていく。そんなことを繰り返すうちに、その先輩と話すのが凄く楽しみになった。そして、先輩と話すといつもスッキリして、夜考え込むことも無くなって、noteに書くことがなくなった。(これは、noteの更新が滞った、壮大な言い訳です)

でも冗談抜きで、先輩と出会えてよかった。自分がふと発した言葉が、意外と先輩の負の感情を救うこともあった。先輩と話すと少し自分が良い人になった気分になる。それって本当に自分が良い人なのではなく、先輩が意識的か非意識的かは別として、私の自己肯定感を上げてくれているんだと思う。先輩も私と話している時は「私って最高かも!」って思ってくれていたらいいなと思う。


自分の感受性くらい自分で守りたい

茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩が結構好き。

最近、結婚をして子どもがいる友達ばかりの集まりの誘いを、何となく気まずくて断ったら、その集まりである子が「seiもそろそろちゃんと考えないとだよね〜、いつまでも独身で自由なのは良いけどさ〜」と自分のことを言っていたと報告をされた。その報告をわざわざしてくることも、そうやって自分のことを言っていることも不快だったけど、思ったほど傷ついていない自分がいた。

その集まりの独身は私だけだから何か言われるのもわかるし、ここ最近は私の自由を私と一緒に愛してくれる友達と会うことが多かったから、久しぶりにそういう洗礼?を受けてびっくりしたということもあるけど、思ったよりみんな他人の人生に興味があるんだな〜そんなことを考える時間があるんだな〜ということも知れた。私なんか自分のことで精一杯だというのに。

恋人の有無や、結婚してるしていない、子どもがいるいない、そんな友達のステータスだけで自分の人生や感情が揺らいでしまうような人ではいたくないし、その友達が自分にとって大切であれば大切であるほど、そんなことって関係なくなる気がする。いようがいまいが、生活の中でどんなことを思ったか感じたかを永遠と聞いていたい。そして、他人の人生で自分を安心させる術なんて、必要ない。自分の人生に、自分が1番満足していれば、もっと最高。「まあ私の人生だしな〜」「まああの子の人生だしな〜」、そんなある意味薄情な無関心さが、時に人を救うことだってあるんだ。


「きのう何食べた?」

最近ハマり、シーズン1からスペシャル、劇場版まで追うほど好きになった「きのう何食べた?」。今ちょうどシーズン2が放映されていて、久しぶりに毎週ドラマを追っている。心があったかくなるけど、いろんな寂しい現実も見えて涙が溢れることもある。自分の無意識のバイアスに気づくこともある。ドラマに出てくるみんなが幸せになる方法を、自然と考えている。

人の幸せを思う時、どこか自分を犠牲にしていないかを考えて過ごしたい。自分が犠牲になっている上での、相手の幸せを本当に幸せだと思えるのか。人と生活をする、人生を共にすることの大変さと幸せさを主人公の二人から毎話学んでいる。「君の大好きなものなら、僕も多分明日には好き」そんな、不確実な幸せな可能性を抱えながら思い合うことの尊さを知って、また素敵な感情をいただけたな〜って自分を抱きしめる。



一昨日、今年初めて自然の金木犀の匂いを嗅いだ。今年は、素敵な映画やドラマ、漫画や本にたくさん触れている秋。もう冬が近いけど、秋をもう少し楽しみたいな。皆さんも良い秋を!




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