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ムンバイの街 | 初めての海外旅行でインドへ行く⑥

3月26日(火)

今日はムンバイ最終日だったので、まだ見てない残りの市場をまわり空港へ向かう予定にした。ホテルの朝食はパラタ2枚しか出てこなかった。さすがにおかずもなかったので外の屋台で何か買おうかと考えていると、それを察したのか料理人がもう一枚パラタを追加してくれた。

ホテルの朝食

周辺を散歩し両替をし、ホテルへ戻る。ムンバイの中心地はイギリス占領時代の建物が残り、ヨーロッパのような街並みで、南国の並木道と石畳の道路、レンガや石でできた大学や図書館、美術館などが見られる。掃除も行き届いており、デリーの中心地に比べると綺麗で洒落ている。そういえばインド人はよく掃除をしている。至る場所で箒を持ち床を掃いているのをしょっちゅう見かける。しかしそれと同じだけゴミをその場に捨てる。なぜゴミをその辺に捨てるのかと聞いた人に対し、ゴミを掃除する人の仕事がなくなるからだと答えていた話を思い出した。

路上では今日の朝刊が並んでおり5ルピーで新聞を買いホテルへ戻った。ヒンドゥー語で内容は読めなかったが、1面にHoli festivalについての内容が大きく掲載され、それにまつわる細かな話で4ページ費やしていていた。窓を開けると外の公園では小学生が体育をしている声が聞こえてくる。体操着は白いTシャツに学年ごとに異なる色つきのスカートを履いていた。小学生は校庭をスカート姿でランニングした後、輪になり真ん中の人を当てるドッヂボールのようなゲームをしていた。
荷支度を終え、ホテルをチェックアウトしコラバマーケットへ向かう。ホテルの管理人は昨日の夜私たちが後払いで買った水の存在を忘れたまま、お金を請求せずに手厚い出送りをした。

ホテルの窓からの景色

ホテルを出た一本道をまっすぐ行くとコラバマーケットに着く。一本路上を抜けるとスラム街のような街並みになっており、大通りでは市民向けの野菜や肉、雑貨が並ぶ。路上に大きなパラソルを立て、その中に荷車を置き、上に商品が並べられている。道は永遠とパラソルやブルーシートが並び、色とりどりな見たことのない南国の果物の山やスパイスの山が置かれる。一度路地裏を抜け別の通りに出ると、そっちでは大量のニワトリが走り回り、まな板でそのうちの1匹がちょうど捌かれているところに出くわした。手慣れた手つきで息の根を止め、皮を剥いでいく。横のテーブルには皮を剥がされよく知っている見た目の肉になったニワトリが山盛に置いてあった。異臭が漂い、下の生きたニワトリは何も知らずに呑気に歩き回っている。日本で見るニワトリよりも白い羽は薄汚れていて全体的にに汚い。見ている間にも地元のお客さんは肉をひとつ買って行った。

これからニワトリが捌かれる

漁港が近いこともあり魚も売られていた。路上にはエビやカニ、光ものの魚がものすごい数並べられている。ムンバイの今日の気温は32℃ほど。蒸し暑い中で魚の腐った匂いが通りを充満していた。商品には無数のハエがとまり、もはや何の魚なのかわからないようなものもあった。この通りが今までインドで見た中で1番ハエが集っていた場所だったと思う。きっと食中毒や衛生面の危険と隣り合わせなのではないだろうか。ナマモノを冷凍保存する知恵を早く身につけて欲しいと勝手に思ってしまった。
そのまま通りを抜けると民家になった。トタン造りのスラムと石造りの中心地の家の中間に当たるような見た目の民家が並び、トタン屋根で窓はなく、ところどころをブルーシートが覆っている。一階は商品置き場になっているのか、ハシゴがかけられ、2階から上に上がれるようになっている。家と家の間の狭い路上を利用し洗濯物が干される。ゴミ置き場の広場では子どもたちが集まりとっ組み合いをして遊んでいる。古びた家が多いが、壁はそれぞれ鮮やかな色で塗られカラフルな見た目をしている。東洋人は珍しいようで通りを通っていると路上でくつろぐ人や仕事をする人は必ず私たちを不思議そうに見つめてくる。そういえばコラバに限らず、外国人(の顔つき)はインド人にとってはとても珍しい存在のようで、どこへ行ってもじろじろ見られるし声をかけられたり写真を撮られたりしていた。噂を聞いて家からわざわざ私たちを見に出てくる人もいた。

民家の様子

通りの一角にあった手作りのお菓子の屋台でオレンジ色の酸っぱい何かをあげたもの、ピンク色の甘い塊、銀色の菱形の甘い塊(何というお菓子なのか説明してくれたがヒンドゥー語で全然わからなかった)を20ルピー(約36円)で買った。店のおじさんはおまけで黄色い練り切りのようなお菓子をひとつくれた。
また、その先では土で器や陶器を作っているお店があった。パラソルの下には様々な大きさの鉢や壺、コップが置かれている。その中でも花の模様がついた小さな器をお土産に買うことにした。価格は5ルピー(約9円)で、あまりにも安いので3つ買って行った。(持って帰る途中で割れてしまい結局お土産にはならなかった)デリーの駅前などとは違い、地元の人たちの来る市場では基本的に町の相場の価格を提示してくるので値下げ交渉の必要はなかった。それよりもこんなに安い価格で手作りの焼き物やお菓子を売っていることが驚きだった。

焼き物のお店

コラバマーケットの大通りに戻り少し歩くとヒンドゥー教のおじいちゃんが急に私たちの前で立ち止まり、お祈りを始めた。懐から白い砂糖の塊をいくつか出し私の手に乗せ、自分の手にも乗せ、一緒に食べろと言ってくる。仕方なく得体の知れない砂糖を食べると食べた方の腕に赤とオレンジの紐をくくりつける。何かを祈りながら最後に赤い粉を額につけられた。これであなたには幸運が訪れると言う。一瞬の出来事すぎて断ることもできず、最後に2ルピーを払いおじいちゃんは満足そうに去って行った。観光客から金を巻き上げる目的だったのか、本当にこう言った風習がありヒンドゥー教の教えとして行動していたのかはよく分からない。

マーケットが終わると、通りは中流階級と思われる人々の閑静な住宅街へと変わる。飲食店がちらほら立ち、そのほかは家の壁や何かの組織の建物が見られる。この通りの端の路上で床屋の市場がぽつんと開かれていた。3人ほどの美容師が壁にかけた鏡を前に簡易的な椅子に座るお客さんの髪を切っている。あるのは鏡と椅子、2種類のハサミにカミソリ、ブラシ、髪を濡らすためのスプレーボトルのみで洗い場も染料も見当たらない。お客さんは男性しかいなかったが、ちょうどHoli Dayの粉で毛先が傷んでいたこともあり、ここで私も髪を切ってもらうことにした。まず髪全体にスプレーを吹きかけ濡らす。(スプレーの中身は茶色かったので多分泥水。)その後櫛とハサミで2センチほど髪を切り揃え、すきバサミですいていった。10分ほどで完成したが、切っている間に地元の人たちが珍しそうに集まってきた。よく分からないが仲良くなりジェスチャーだけでかろうじでコミュニケーションがとれるようになった。代金は100ルピー(約180円)と激安だったが、カットはかなり上手で綺麗な仕上がりだった。

 髪を切ってもらったところ

その先、進むとサスーンドックと言う漁港に当たる。漁港では朝、おろされた魚の市場が開かれるが今日はサスーンドックに着いたのが昼過ぎだったため市場を見ることは出来なかった。漁港の建物の壁には壁画が描かれたり、表札が太陽からの光と影により浮き上がるものがあったり、かなり凝って作られている。海は濁っていて先ほどのコラバの魚売り場のような異臭が漂っていたが、景色が見えないほどの船が港につけられていて、それぞれの船にはなぜか世界国旗がたくさん吊るされている。サスーンドック全体を統括するアーティストなどがいるのだろうか。海沿いに大量のエビの殻や魚の死体が置かれ、その横で市場を締めた後の女性がサリー姿で集まり、お金を数えたり後片付けをしたりしていた。

インドの港町サスーンドック

お腹が空いたので港のはずれにある屋台食堂で昼食をとった。ここは働きに来る漁師などが食べに来る屋台食堂のようで、労働後の男性がカレーを食べにきていた。漁港だがラインナップは他の地域の屋台と変わらない内容だった。店に外国人が来ることが滅多にないようで、店員はわざわざ扇風機のある席に案内してくれたり、色んなものをサービスで出してくれたりした。
ヒンドゥー語のメニューが一切わからないので適当に指をさすと、清潔とは言えないプレートに3種類のカレーとパニが6つほど乗った料理が出てきた。見た目は全然美味しそうではなかったのだが、味は今までのカレーの中で1番美味しかった。チャイも頼んだのだが、他と全然違う味がした。感動していると空になった皿に次から次にカレーを足してくる。さらにパニだけで十分なのに1人前の米と別のカレーまで持ってきてくれた。気前の良さに対し、お腹いっぱいでこれ以上いらないというのが伝えられず一生懸命食べるが次から次にサービスのカレーが出てきて笑いが込み上げてきた。パニの食べ方が分からず困っていると同じものを注文した隣の人がパニの潰し方やカレーの付け方を実演で教えてくれた。これだけ食べて110ルピーだった。美味しかったと伝えると首を横に振って(インドでは頷くとき首を横に振る)厨房に戻って行った。

わんこカレーをしてくる店

歩いてムンバイの中心地まで戻り、uberを呼んでクローフォードマーケット近くで下ろしてもらった。マーケット近くは昼過ぎから盛り上がる。路上には華やかな造花や電気製品、モップや服、カバンなどありとあらゆるものが売られている。さすがムンバイ1番のマーケットなだけあって、だいたいの生活用品、食品は全てここで買えるくらいの品揃えと規模感だった。ここでお土産を買って行こうと決めて商品を見て回るが色々ありすぎる上に地元で生活する人へ向けた商品がほとんどなのでお土産にちょうどいいものがなかなか見つからない。生鮮食品やスパイスは検閲で引っかかるし、生活用品をあげるわけにもいかない。お菓子は手作りなので人にあげるには賞味期限や衛生面が心配だった。良いものが見つからず段々目がちかちかして疲れてしまい、諦めて屋台に入りチャイを飲みながら休憩した。店内には椅子が並べられ、おじさんたちがチャイを飲みながら談笑する憩いの場所になっていた。桶に入った牛乳を鍋に移し、沸騰した後スパイスと砂糖と茶葉を入れかき混ぜる。最後に布でこしてコップに注がれる。作っているところを撮らせて欲しいと言うとおじちゃんは動画用にパフォーマンスをしてくれた。さっきまでと全然違いチャーハンを作るような動きでチャイを作るので面白くて笑ってしまった。手元から顔にカメラを向けると必ずニコッと笑う。嘘をつかれたり、ぼったくられそうになったことも何度かあったが、基本的にインド人はみんな素直で親切というのは間違いないと思う。家族や親しくなった人にはとことん優しい。

パフォーマンスを始めるチャイ屋のおじちゃん

お土産はあきらめて空港で買うことし、uberを拾った。マーケットから空港までは40分ほどかかる。車を走らせるとスラム街が広がり、窓が開けっぱなしになった車内にゴミや埃が入り込んでくる。途中の信号で子どもの物乞いがやってきた。デリーでも何度も見た光景だったが、その子は今までのパターンと違い、お金ではなく食べ物を要求してきた。かばんの中を漁ると日本で買った食べかけのグミが出てきたのであげた。物乞いに観光客がお金や物をあげるのは根本的なスラムや貧困の解決にはならない。むしろ観光客に物乞いをすれば何かがもらえると知った人々が物乞いを商業化してしまう。デリーは物乞いが貧困層の金稼ぎの型になってしまっており、同情を集めようとより可哀想な感じを出そうとする人がたくさんいた。腕や足がないことを主張したり、何か人よりも障壁が多いことを強みにして中、上層階級や観光客にひざまづく。その様を見るのはとても悲しかった。しかし彼らは今自分が不幸だとは微塵も思っていない。ドービーガートでもそのほかの貧困地域でも、そこにはその地域なりの生活があり、そこで生まれる環境の中で、その他に選択肢があることなど知らずに生きている。正直、日本で教育実習をやった時の子どもたちよりもスラムで生きる子どもたちの方が生き生きとしていて幸せそうに見えた。選択肢が広がりその地域がヨーロッパのように発展していくのが必ずしも正しい道だとは思えないね、とちぐさと話していた。

おまけ


野菜屋
根菜屋
フルーツ屋

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