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我慢から得られることとは

衝撃的な一週間を過ごしていた。
簡単に言えば、「若い」という理由だけで期待をかけられ、一生懸命頑張る子たちが、体調を崩してまで、何かを失おうとしてまで、搾取されていたという現実を知ったということ。

年功序列がいまだに残る会社の中で(おそらく日本企業の8割型がそうなんじゃないか)、20代の子がやる気搾取をされていたのだ。
「期待しているよ」「役員の人が褒めていたよ」「あなたならきっとできるよ」そんな一見ポジティブな言葉をたくさん受けて、プレッシャーを感じた子が、日曜の夕方になると腹痛に襲われ、一週間のほとんどを整腸剤などの薬が手放せない生活になっていることを、言葉をかけた当人は知らないし、知ったとて責任を取らないだろう。

私たち30代後半、40代は、若い子の成長よりも自分の生活費の安定が大事で、そのためには立場を守ることが大事になってきている。
リーダーとして、頼れる上司として、「挑戦を応援してる」なんて言葉をかけながら、何も手伝いもしない。偉そうに評価をしたり、面談をして、言葉をかけるだけかけて、実際に手を動かすことはない。(※もちろん人にもよる)

20代の若い子がそんな裏側までも見抜いて、うまくやり過ごそうとしていることも知らない。だから20代の子は、どこかにモヤモヤを抱えたまま、違う道を探し始める。当たり前のことだ。
そしてそれはそれでいいのだと思う。体調が悪くなるまで、おかしな場所からは逃げ出さないと。

そういう、人の無頓着で傍若無人な振る舞いへの我慢から得られることって一体なんなのだろう?
ほぼ、いい影響なんてないのではないか。

年功序列がなんだ、社会経験がなんだ。
AI時代に、辛い経験がそんなに必要になってきているとは思えない。20代の未来ある子たちには、無理を強いるのではなくて、もっと好きなことで羽ばたけるように背中を押すべきだと思う。
そのために、30代・40代がAIではわからない知恵を働かせて、地盤を固めるのじゃないのか。

もちろん、我慢が必要な時も人生にはある。
人が何かのスキルを習得するのに、何度も反復練習が必要なこととか、まだまだ知らないことの方が多い子供に、粘り強く教えなくてはならないとか対話しなくてはならないとか。

でも、誰かの欲望を実現するために、誰かが我慢して人生の時間を搾取されるようなことは、望ましくない。
そうなったら、お金や経験よりも、自分の大事な人生の時間を奪われているという感覚が必要だ。

これは私の人生においても学び深かった出来事だった。
自分の痛覚を麻痺させて、お金のために大事な時間を無碍にしていたら、それは生き方を考え直す大事なターニングポイントなのだと思う。
そして、生き方を考え直したら、少しの行動が必要だ。現実は動かさないと変わらないから。
完璧に自分の思い通りにはならなくても、まずは自分の時間が搾取されている感覚から抜け出すことから始めよう。

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