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孤独と孤立は違うものと知った30代後半

29歳で結婚して、32歳で離婚しました。スピード離婚、とまではいかないまでも、最初の結婚生活はとても短いものでした。

それから5年経った今、37歳。
私はこの5年間、孤独を噛み締め戦っていました。一人でいるということの意味を盛大に間違え、勘違いし、振り回された5年でした。
それを経た今、私の心は「穏やかな孤独」への道を選ぼうとしています。

正直、この5年間は心がひん曲がっていて、人生の先輩たちが「今はひとりで心が寂しいなんていうことはなくったんだよね。それは〇〇のおかげ」みたいに自分語りしているのが許せなかった5年でした(苦笑)
「ゆうてあなた、離婚もしていないし、子供もいるし、仕事もしてましたよね!全部持っている人が、孤独を語るのはおこがましいですから!」みたいな批判でいっぱいでした。今自分で振り返っても怖いです。笑

そしてあることに気づきました。それは「孤独」と「孤立」の違いです。
私は今まで「孤独」=「孤立」と思っていました。
心が寂しくても家族や友達・仕事があれば孤独じゃない、と思っていた節があったんですね。
だから何かをなくしたら、他の何かで埋めようとしていました。家族や友達がいなくなっても、自分には仕事があると仕事で自分を埋め尽くすようなことを繰り返していました。

そんな中であるとき、会社で二人しかないポジションを分け合うことになりました。後から入ってきた人が私のマネージャーになり、徐々にチームから外されていく疎外感を感じることがありました。
男性チームの中に女性ひとり、さらには相手の男性は相手の回転が早く、絶妙な言い回しで私の仕事を奪っていく。上司は見てみないふり。私には、そのときその仕事しか生活になかったから、懸命にしがみついていたけど、心はいつも満たされませんでした。
ひとりじゃない、孤独ではないはずなのに心の欠乏を感じる。それは「孤独」ではなく「孤立」でした。

例えば家族の中でも、意見が違って分かり合えないときは「孤立」を感じるものなのだと思います。一緒にいたくても一緒にいるのが辛い。それは「分かり合えない」という心の充実が足りない状態だからです。
でも「孤独」だとしたら、きっと心の充実は得られると思います。お互いのひとりとしての存在を認め合い、独立した一人の人間として尊重する。生活が一緒じゃなくても、どこかで繋がっている。そして繋がりをそんなに意識しすぎなくていい。
そんな孤独同士でいれたら、もっと自分も相手も大切にできる世界がある。

無理矢理人との距離を切り離すのでもなく、「私はここにそのまま存在して独立していていい」とし、「あなたもそうあって欲しい」と願いあう。

今は、そんな「穏やかな孤独」を愛していいと自分に認め、楽しみ始めています。
5年かけてやっと。でもこれからもきっと楽しい孤独を感じれる時がたくさんあるはずです。


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