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自分の不出来を認められる強さ

今月から新しい仕事に就くにあたって、今までの仕事上での自分を振り返ってみると、私に足りないの一つと能力として、「自分の不出来を認められる強さ」があるではないかと思いました(これはシンプルに反省です)。

ふとそう思ったきっかけは、先日友人と、“一見あっているようで実は間違っている敬語”について話していた時でした。

たとえば、「よろしかったでしょうか?」は間違いであり、正しくは「よろしいでしょうか?」だとか、レシートはお返しするものではないから「レシートのお返しです」ではなく「レシートのお渡しです」が正しいなどです。

数年前にアルバイトでレジをしていた頃の記憶を思い起こして、「あああの時あんなふうに注意されたな〜」と懐かしく思いつつ、

…いや待てよ、あの時の私、めちゃくちゃふてこかったんじゃないか?と思いました(笑)。

たとえば、「よろしかったでしょうかじゃなくて、よろしいでしょうかだよ」と社員さんに指摘された時、「え、なんで?」という感情を抱くのは別におかしいことではないのですが、その感情をたぶん私は結構そのまま表情とか態度に出していたんじゃないかと思います(笑)。

たしかにただ「それは間違いだよ」と指摘するだけでじゃなくて、なんでそれが間違いなのかを説明してほしいという気持ちになるのはわかります。だけど別に理由を教えてもらえなくても、その後の休憩時間に自分でなぜそれが間違いなのかを調べることだってできます。

とにかくあの時の私は、“自分の行いを間違いだと認めること”が上手くできていなかった。つまり、自分の不出来を認められる強さを持ち得ていなかったのではないかと、今振り返ってみると感じます。

おそらくこれは世の中の大多数の人にとっては既にできていることであって、非常に低レベルな話で申し訳ないのですが、私は性格的に自分の意見や考えをなかなか曲げることができない頑固さがあって、これはその頑固さが裏目に出た出来事の一例なのではないかと思います。

特に若くてスキルがまだない人ほど、とにかくスポンジのように吸収する素直さが大切になってくるのではと思うので、今後は「自分の不出来を認められる強さ」を意識的に持てるようにしていきたいところです…。


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