見出し画像

仕事に意味を感じられなくなったら

今朝、大学へ向かう道を歩いていて、自分がやっている仕事に意味を感じられなくなったときに立ち返りたい考え方がふと思い浮かんだので、今日はそれをつづってみたい。

まず前提として、すべての仕事は誰かの幸せのためになっている。

どんなに低賃金な仕事でも、社会的にはあまり肯定されない仕事でも、その製品やサービスを求めている人がいて、だからこそ商売として成り立つ仕事は、誰かを幸せにしているといえる。

その意味で、どんな仕事にも価値がある。

だけど、その価値を客観的に感じられやすいかどうかは、職業によって異なるのだと思う。

だからこそ、社会には「良い就職先」というのが存在する。

価値を感じられにくい仕事として、たとえば客からの直接的なフィードバックを得られない仕事がある。

「ありがとう」と直接言葉にして感謝される機会があるかどうかは、仕事の価値を感じるうえで重要だと思う。

私は以前、「働くことの意味ってなんだろう」と考え続けていたことがあり、過剰に意味を追求し過ぎていたという意味で、かなり重症だった(笑)。

しかし今思えば、その次元で頭を悩ませる必要なんてなかった。だって前提として、すべての仕事に意味があるから。今となってはそう思えている。

むしろ悩むべきはきっと、「仕事に意味を感じ続けるためにはどうすればいいか?」なのだと思う。

“慣れ”って本当にすごくて、はじめはすごく価値を感じられていることでも、たとえば最初は一人暮らしをしているだけで四六時中ハッピーでも、時間が経てば家賃が高いとか、ゴミ捨てが面倒だとか、一人暮らしをすることのデメリットに目が向くようになってくる。

それは人との関係も然りで、はじめは好きなところしか見えなかった恋人も、夫婦になって長い時間を共にするに連れ、好きなところには慣れてしまい、それが見えづらくなってしまう。

そして次に目につきはじめる“嫌いなところ”が、強調されて見えてしまう。

だけど一旦初心にかえって、
この人と一緒にいたいと思った最初の理由ってなんだっけとか、私がこの仕事を三年も続けている理由ってなんだろうとか、原点回帰を時々挟むことによって、仕事の「意味」をもう一度感じられるのではないかと思う(まあ本当の天職なら、そもそも意味を見失うこと自体ないかもしれないけど)。

どんな仕事にも意味はある。
だから大切なのは自分の主観であり、「自分が主観的にどんな仕事に対して意味を感じるのか?」で、シンプルに考えればいいのだと思う。

しかしそこで障壁となるのが、世間体とか社会にある基準であり、それによって選択がブレてしまう。

ブレずに自分の本心に従ってキャリアを選択していきたいけど、やはり無意識にそうした障壁に邪魔されているのか、私は本当にやりたいことがまだ見えていないような気がする。

今日は夕焼けがめちゃくちゃ綺麗だったので、最後に貼っておきます。

この記事が参加している募集

スキしてみて

仕事について話そう

いつもお読みいただきありがとうございます。よろしければフォローやサポートもぜひお願いします😌💐