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noteに心の内を書き出すことの意味

どう考えても、私はnoteに自分のパーソナリティを吐露しすぎています(笑)。

私にとっては、家族よりも、親友よりも、一番に自分のことを赤裸々に伝えている相手がこのnoteだと思います。

しかし私は、noteのリンクをインスタに貼っているので、それを見つけた友人がもし私のnoteを読んでくれたら、たぶんその友人は一瞬にして「私」のすべてを知る、といっても過言ではないほどまで深く、私のことを知ることができるだろうと思います。

ぶっちゃけ私自身も、「それってどうなんだろう」と少し思う部分もあります。

もちろん恥ずかしい気持ちもあるし、noteを通して自分のイメージが下がったらどうしようとか、変に思われたらどうしようと思ったりもします。

それでも、インスタからnoteのリンクを消そうとはあまり思わないし、noteを書くことも今のところは辞めようとは思わない。

それってなぜなんだろうか。

近年では、人がアウトプットするための手段が急激に増えています。

一般人であっても、一度YouTubeに動画をアップすれば全世界に発信することが可能です。

対してTwitterは、「つぶやき」という手軽な情報発信ツールであり、長い文章を書くことのできるnoteでならより深い情報発信ができます。

こうしてアウトプットの手段が多様化し普及するにつれて、人間のアウトプット欲が高まったのか、それとも人間がもともと潜在的に持っていたアウトプット欲が今になって顕在化してきたのかはわからないけれど、

人がこうしてアウトプットを行うことに、なんらかのメリットがあるのは確実だと思います。

一方で、SNSの利用者を情報の発信者と受益者にわけた場合、おそらく後者の数の方が圧倒的に多く、SNS上で“情報発信する側”になることはまだまだマジョリティだとはいえません。

個人的に、こうしてnoteで発信者側になってみて感じることは、明らかに受益者側より発信者側になる方が楽しいということです。

これは、私個人がそういうタイプだからだという可能性もありますが、もし発信者側になったことのない人には、ぜひ一度は経験してみてほしいと思います。

私がnoteを続けることができている一つの理由は、自分が創造した文章に対して、毎日必ず誰かがフィードバックを送ってくれる点があげられると思います。

ぶっちゃけ本当に読んでいるのか否かなんてわからないけれど、スキを一つもらえるだけで、すごく嬉しいんです。単純だけど。

それに、時々後から振り返って記事を読み返して見るのも楽しいし、これからも続けられるうちは、ずっと続けていきたいと思っています。

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