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『カモン カモン』5回観た

映画『カモン カモン』。
5月10日に TOHOシネマズ仙台 で1回目を。
5月下旬から6月中旬 フォーラム仙台 に通い
そして今日、最後の5回目を観てきました。

《作品情報》
C'mon C'mon     カモン カモン  (2021)

監督/脚本 マイク・ミルズ
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キャスト
ホアキン・フェニックス(ジョニー)
ギャビー・ホフマン(ジョニーの妹ヴィヴ)
スクート・マクネイリー(ヴィヴの夫ポール)
ウディー・ノーマン(ヴィヴとポールの息子ジェシー)
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《あらすじ》 文:sakura.
「未来はどうなる?」
「スーパー・パワーがあったら何をしたい?」
「ママやパパのどんなことを覚えていたい?」
「なにを覚えていて、なにを忘れる?」

ラジオジャーナリストとして
アメリカ全土を飛び回り子どもや若者に
インタビューをしているジョニーは
家庭を持たず一人NYで暮らしている。
ある日、妹の頼みで甥のジェシーを
しばらくの間預かり、面倒をみることに。

突如始まった共同生活の中で見えてきた
子どもとは─。そして、大人とは─。
仕事でインタビュー相手として接するとき
見えていたはずの“子ども”とは違うもの、
ときには同じものに出会ってゆく。

娘の幼稚園の時間しか自由じゃないこともあって
普段は同じ映画に複数回の時間を費やす
ということは、ほぼほぼしないのだけれど
どうして5回も観に行くことになったのか。

それは1回目に受けた複雑な衝撃
の影響が大きかったような気が。

1回目、愛おしいと思いつつも深く傷ついた。
2回目、幸せだった。
3回目、アメリカに行ってみたいと思った。
4回目、情報量が増えたので深みが増した。
5回目、余すところなく満喫した。
今日で最後だと思うと、
悲しくて幸福で堪らなかった。


1回目は、デザイナーの大島依提亜さんが
ポスターやパンフレットの制作段階でされていた
ツイートを見て、これは絶対に観たいと思い
ミニシアター行きがちなわたしもTOHOへ。

初見時の感想としては、
マイク・ミルズ監督のお母さまは
きっと、素敵な母親だったのだろうと思った。
20センチュリーウーマンのときから
男性監督なのに、ここまで女性や母親の描写に
何一つ不快感を感じず、
このままでいいんだ、こう在りたい
と思わせてくれる。
そういう作品、なかなかない。
子どもはいいよ、子育てって楽しいよ、
みたいなメッセージ性もなくてリアルでよい。

それになにより、オープニングのインタビューで
繰り出される問いに一つも即答できなかったこと
そんな自分に絶望したこと
それなのに
「なにを覚えていて、なにを忘れる?」
という問いにだけは、気持ちが溢れたこと。
わたしはもうすっかり大人だけど、
今わたしが好きなもの、すきな人のことは
たとえ、この先“好き”ではなくなったとしても
今のわたしがたしかに好きだったこと、
愛おしく思っていたことを忘れたくない、と。

それを受けて続く本編で、
ホアキン・フェニックス演じるジョニーの言う
「君が忘れてしまうと言ったんだ」
「僕は忘れない」
という言葉。
どんなに楽しかったことも、愛おしい出来事も、
ぶつかったことも、その後に後悔した気持ちも、
きっと、子どもは数年経てばもう覚えていない。

そしてそれは、わたしたちも。
わたしたち大人も、子どもだった頃の出来事、
その頃に抱いた夢、考えていたこと感じたこと、
いろんなことを忘れて今ここに立っている。

幼い頃の記憶だけではなく、
わたしで言えば、娘と過ごした5年余りの日々も。
おもしろ可愛い言い間違いや、
大したこともないことで笑いあったこと、
感情的になってしまった後の寝顔に謝ったこと、
きっと今思い出せる範囲の記憶にすら掬いきれて
いないことが、たくさんあるのだ。きっと。
そんなことを思うと、
「なにを覚えていて、なにを忘れる?」
という言葉を思い出すだけで
観たあと数日間は涙が出そうだった。

一方その1回目、同時にひどく傷ついた。
「夫婦における“病める時も 健やかなる時も”の
片方が“病めるとき”に、もう片方の在るべき姿」
をジェシーの母ヴィヴに見たような気がして。
ヴィヴを理想の母親だと思うのは
5回観た今でも気持ちは変わらないけれど、
妻としてもこれこそが理想だったのでは。
わたしも本当はかくあるべきだったのでは、
と、思わずにはいられなかったから。

5回観た今となっては、
そうは言っても現実的には無理だったな、とか
あのときあの選択をしていたから出会えた人は
時間を巻き戻せたとしても失いたくないな、とか
そもそもわたしは結婚という制度に不向きな
人間だったと気づけたしこれでよかったのかも
などと思えて、引きずってないけれど。


そして2回目。
これは唯一、一人映画ではなかった回。
観たあとに、こういう母でありたいと思ったこと
アメリカの子どもたちすごすぎること
主演二人のキャスティングが大正解なこと
引用する本のセンスが絶妙でさすがということ
一回目観たときに傷ついたこと、すべてを
永遠にも思えるほどの時間二人で話し続けて
その時間も含めて、本当に幸せだった。
感じ方や解釈、意見が合わないときも受け止めて
その違いを楽しめるから、なにを観ても楽しい。
この人となら一緒に映画を観てもいいと思える
ひとりで観るより楽しいと思える、唯一の人。

3回目。
TOHOのときから売り切れていて、
フォーラムでの公開が決まった瞬間に聞いたけど
入荷はないと言われたパンフレット。
某サイトで入手(という名の高価買取)して
知識や情報を増やして補強したので、改めて。
こんな素敵な映画の構想が生まれる地、
こんな考え方をする子どもたちが生きる地、
アメリカに行ってみたい、と
4都市それぞれの風景を見ながら思った。
(耳が高低差に絶望的に弱く、飛行機乗れない)

高価買取したパンフ。転売ゆるせないね

4回目。
毎日聴いているアフター6ジャンクション内
RHYMESTER宇多丸のムービーウォッチメン
での宇多丸さんのカモンカモン評を聞きすぎて、
暗唱できるのではレベルになってしまったので
他の人の評も聴いてみたい!と思い、
Spotifyで初めましてのpodcastを漁る漁る。
検索しうる限りすべてのpodcastを聞き尽くし、
当然のことながら、今すぐ観たいな?!という
気持ちになり、思い立ったらすぐフォーラムへ。
(podcast聞き漁るの本当に楽しかったので
許可得られたら聞いたの全部紹介したいなあ)


そして本日5回目。
朝から、マイク・ミルズ監督の過去作
『人生はビギナーズ』(初見)
『20センチュリーウーマン』(2年ぶり2回目)
を観て、パンフレットを最後にもう一度読み返し
宇多丸さんの評を聞きながら仙台の街を歩いて
16:15、劇場に到着。
そしてこれを書いている今、ここまでで20:37。
もうね、今日は一日
カモン カモンのために生きている
と言っても過言ではない。

そもそも、そこまで大して何も起きないし
5回目なので展開もセリフもほぼ覚えてて
あえてあまり字幕を追わず、
俳優陣のちょっとした視線や表情、
4都市それぞれの街並みや
アパート以外すべて実際の人の住居を使用した
という家の中や、絵造りを文字通り満喫。

5回目にして初めて気づいたことも多数。
中でも、ジョニーが
妹ヴィヴの家に着いた日と翌日の
ジェシーには気づきが多かった。
ジョニーがジェシーに続いて
ヴィヴとハグしているとき
子どもが実際にやりそうな自然な演技で
ジョニーの持つ録音機材に目をやっていること。
ジョ二ーと親しくなる前から、ジェシーは
母親のことを「She」と言っていること。
どうなんだろう
英語の知識に中3以降の記憶がないので
英語圏の子どもたちが
第三者に対して母親のことを指すときに
なんて単語を使うのかよくわかんないんだけど
みんな、She を使うのだろうか?
「ここには、ママのドレスや僕の宿題がある」
というとき、なんて言うんだろう。
妹に聞いてみよっと

あとは、今日までの5回でたびたび
これは危ないなと思ってたシーンや
ときには堪えきれなかったシーンたちに
最後だし、心置き無く涙を流してきた。

ジェシーが回想する
お父さんとの楽しかった日々。
ヴィヴが言う
「彼が優しい声で言うの。
少しよくなるまでいてくれって」という言葉。
ジョニーが言う
「君“が”忘れてしまうと言ったんだ」。
追加撮影したシーンでアドリブで発された
「笑ってる?泣いてる?」からの
「ちゃんと対応したい」という言葉。
エンドロールの一瞬、空色に染まるスクリーン。
エンドロールのインタビュー音声
「ママとはすごく心が通じあってる」という
女の子の言葉。


この映画に出会えたこと、
この作品が生まれた今の時代に生きていて
映画を楽しめていること、
5回足を運んで1ヶ月を共に過ごせたこと、
とても幸運に思うし、幸せだった。

間違いなくわたしの中で大切な作品になったし、
展開に起伏がないから
サブスクで楽しめるかどうかは
ちょっと自信がないけど、それでも
今後も大切にし続けたい作品になった。
映画を好きでいてよかった、と
鑑賞中に感じる作品は
たぶん、ちょっと初めてな気がする。

2回目のだけ一緒に観たお相手が持ってるみたい🙄

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