生きてこそ

1回忌だった


祖母の1周忌があった。享年90歳超えてて、大往生。祖父母との交流は往々にして片親に寄りがちと思うが、どちらかというと頻繁には会ってなかった方だった

葬式の前後、生い立ち等々もそんなに知らなかったけど、地元の親戚(小さい頃に1度会ったかな..)の方々も集まって昔話をしてた

自分にとっては数年に1回会って、うまい(濃い)味噌汁を作ってくれるおばあちゃんであったが、頑固な部分とか、親や叔母にとっては中々苦い思い出もあるよう

定期的には合わずとも、祖父が亡くなってからの過去10年も、施設に入ることは好まず、ずっと淡々と一人暮らしをしていたということは親経由で話は聞いていた。自分が最後に会った時も90歳を超えいたが、とてもしっかりしてて久しぶりに色々な話をした

昔は町で自分で文房具屋を営んでたらしい。引退後は趣味に打ち込むというよりも、淡々と生きていたのだと思う

その店はなくなってしまったし、自分も何か強い印象に残っている思い出があるわけではない。祖母が生まれ、そして生きたからこそ、自分へとつながったわけで。そして繋がれた生を自分は今結構エンジョイしている

何か目立つもの・わかりやすいものを残さずとも、普通に生きて、バトンを繋ぐことに意味があるなということを思った

飲み会好きな先輩


数年前に、7-8個くらい上の先輩が事故で亡くなった

当時いた会社の先輩で、飲み会が大好きな人だった。実際仕事は全然重なってなかったのたが、同じ大学出身のよしみからか?ちょくちょく個人でも大人数でも誘ってくれた

合流する時は大体酔っ払ってるし、「もう一人きます!知らない人です!」っていうのもザラな人だった。そんなんだけど、自分や他人の得意なこと・そうでないことを冷静に認識してて、的確にアドバイスをくれる人だった

彼が転職した後も、その会社の役員の方を紹介してくれたり(と言う名目でひたすらハイボールを重ねる)、雑誌に載ってる起業家見たことあるなと思ったら彼の(某うどん屋の飲み放題を活用した)ゲリラ飲み会で隣にいた人だったり

正直彼が楽しみたいように動いた中に巻き込まれていた感じだし、その飲み会での縁で何か直接キャリアや仕事に繋がったと言うわけでもない。けれど、その時々で結構救われたというか、シンプルに元気をもらっていた気がする

1年ちょっとくらいの付き合いだったが、彼が生きて好きに動いてたことに巻き込まれたものは、意外と自分の中に爪痕が残っている。もう一度(メガ)ハイボールで乾杯したかったけどね

おわりに


仕事も日常でもなんかなさねば〜と言う気持ちに折に触れて駆られるが、生きてるだけでそれなりに意味はある

特別なことをせずとも、人と言葉を交わしたり、めんと向かって過ごす日常を今日も生きてる自分をたまには褒めてやってもいいなと思った。そして自分はしぶとく生きたるぞとも思った


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