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5円玉みたいにパッとしない人生だな

この1、2年で何度「また無駄な時間を過ごしちゃったよ」と感じたことか。

消して日常に必要以上の彩りを求めているわけではない。「普通が一番」なんて言葉も別に嫌いなわけじゃない。

なのにどこかで満たされたいと思ってしまうのはなんでしょうか。

自分にとって素敵だなと思える人が周りに何人かいて(勝手に推してる)その方々に憧れたりする反面、羨望を抱いてしまう時もある。生きてるどこの段階でこんな差ができたのだ、と。

世間からみた自分というものを考えてしまったりもする。「別に周りの言ってることなんてどうでもいいよ、自分は自分だもの。」なんてことを武器に自分を強く保とうとする年頃なんてとうに過ぎてしまった。

大人になればなるほど、たくさんの経験をして、知識が増えたり感情表現が豊かになったり。そうしていくうちに物事を変に難しく複雑に捉えようとしてしまうことが増えた。昔はもっといい意味で単純で、自分が思ったことを素直にやろうと、ある意味無鉄砲なとこがあって。危なっかしくて、でもどこかそんな頃が羨ましかったりして。

過去に囚われてはいないけれど、現在を夢中になって生きているわけでもないし、かといって未来に期待しようともしない。ほんとパッとしないのよ。

そんな自分が5円玉みたいで嫌いだ。別に嫌いじゃないけどわざわざ好きにもならない。でも会計が細かいときだけ頼られる、そんな都合のいい感じ?

でも思うのよ。下から2番目の価値の5円玉なのに綺麗な金色してるのよね。そんなとこが憎めなくてむかつく。いつか立派になって0を足すだけで500円玉になれるって思うようにしてる。

書き終えて、5円玉みたいにパッとしない文章書いてしまった、と思ってしまいそうだった。あぶねいあぶねい。

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