自分の意思を尊重してくれる親の元で育った結果。



私は、昔から親に〇〇しなさい等を
言われることがとても少なく
自分の意思を尊重してもらえていましたし
お金に困っている等もなかったため
進路選択、習い事など
とても自由にさせてもらえてたと思います。

例えるならば
2月の勝者の
前田花恋の母親のような親だと思います。
(わかる人にはわかるかと思います。)

客観的に見るととても
「理想的」「恵まれている」
と思われると思います。

親からも
「自分のやりたいことをできていることに
感謝をしてほしい。」
と言われていましたし
私の友達も私のことを「恵まれてるから
ちゃんと親を大事にした方が良いよ。」
と言われてきました。

当時は、私や家族も
発達障害に気付いていなくて
当然支援も受けていなかったため
「自分は恵まれているのに
自分が何処か生きづらいのは
自分が怠惰な人間だからだ。」
ととても自責の念に囚われていました。

ですので、恵まれていましたが
ある意味孤独でしたね。

でも今となって思うのは
親がお金に困っていなくて
自分の意思を尊重してくれるような
所謂、恵まれている家庭で育っていたとしても
発達障害があり
しかも、自分や周りもそれに気付かず
支援を受けられていない状態だと
生きづらくなるのも無理はないと思います。


そのように自分は信じたいです。
むしろ、自分の意思を尊重してもらえたからこそ
しんどかったというのもあると思います。

それはこのようなことが背景にあるからです。

私も、進路選択や習い事など
親は口出しして来ないため
自分の意思で決めてきました。
でも私は
「体育会系のようなガッツさ」
「コミュ力」
「マルチタスクをこなせる力」が必要な
《それ、まさに自分が苦手なことだろう》
と思うようなことばかりやってきたと思います。

多分、
「自分を変えたい。」
「今の自分を認めたくない。」
という気持ちがあったのだと思います。

今でも抑うつ感や自己否定感
社会や人生に対して絶望感はありますが
それは、今まで自分の苦手な事を必要とすること、環境ばかりを選びすぎた結果でもあると
思っています。

そして、勘違いする人も居ると思うのですが
自分の意思を尊重してくれる
=口出ししてこない親がいないのは楽で良い
というわけではないということです。
恵まれていたとは思いますが
=楽というわけではありません。
自分の意思でいろいろ決めるからこそ
それで失敗した時は
誰のせいにも出来ないので
ただ自分に絶望するしかないしんどさがあります。

でもなんだかんだ言って
自分(子ども)の意思を尊重してくれる親は
良い親なのではないかと思います。

ですので、親がそのような親なのであれば
親以外の人で「それ、本当に大丈夫なの?」と
声をかけてくれる大人がいたら
それだけでも少し
自分の人生は変わっていたのではないかなと
思います。

また、これは結果論であり
例えば、自分(子ども)の意思を尊重してくれない
色んなことに口出ししてくる親の元で
育っていたとすると
それもそれで別のしんどさはあったと思いますし
今以上にしんどかった可能性も
とても高いと思います。
特に、マイペース、干渉されたくない自分にとっては
色んなことに口出ししてくる親と過ごすのは
とてもしんどいような気がします。

結局、何が言いたいかと言うと
自分の意思を尊重してくれる親が
理想的であることには変わりない
けれど
発達障害(特にASD)の子どもの場合
その子どもの特性も考慮する必要がありますし
その子のやりたいことが
逆説的高望みになっていないかということにも
注意する必要があると思います。


また、就労移行支援、就労継続支援事業所等で
発達障害(特にASD)の方と
関わっている職員さんの方も
利用者の意思を尊重してほしいと思いますが
その利用者が逆説的高望みをしていないか
ということも注意して見ていただきたいと
思います。

いろいろ失ったものもあったけれど
自分の苦手なことを必要とするような
ことや、環境を選びすぎた結果
他の人にはないような
学べることもあったと思いますし

自分のやりたいことのためなら
努力を怠らないところや

自分の好き嫌いがはっきりしているような

自分軸がブレない人間になれたのは

両親が
自分の意思を尊重してくれていたおかげでも
あるのかなと思っています。

特に、自分軸があるというのは
生きやすさにも繋がっていると思います。
そのような意味では
恵まれているのかもしれません。

結果
良かったのか悪かったのか
あまりわかりませんね。

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