「自分がされて嫌なことは人にはしないこと。」と言うけれど

小学生の頃、道徳の授業で
「自分がされて嫌なことは人にはしないこと。」
と習ったことがある人も多いはずです。

自分がされて嫌なことを人にしないことは
当たり前だろうと思う人も多いかと思いますが
この当たり前を出来ている人は
どれだけいるのでしょうか。

このことに限らず
当たり前のことを当たり前に守るということは
実はとても難しいことだと最近思っています。

お話を戻すと

例えばのお話なのですが

Aに嫌なことをされたとします。
自分自身は、嫌なことをされたので
「嫌だなぁ」とは思いましたが考えてみると
Aは最近ストレスが溜まっているところもあり
ストレスの捌け口として
自分に嫌なことをしてきたのだと思いました。
つまり自分は、嫌なことをされて
嫌だったのかもしれないけれど
問題はAの方にあると
割り切ることができるということです。

この場合、
Aが、自分にしてきた嫌なことを
自分は、他の人にはしないようにしようと
思えると思いますし、実際しないと思います。

ですが、この場合はどうでしょうか。

Bに嫌なことをされました。
確かに嫌だったけれど
このようになった原因は
自分にもあると自責の念に囚われました。

この場合、
Bが、自分にしてきた嫌なことを
自分も、他の人にしてしまうということが
起こりがちだと思います。
(元の性格が良い、悪い等は
あまり関係ありません。)

なぜこのようなことが起こるのかというと
相手を見ていると
Bに嫌なことをされた時の自分を思い出して
でもそんな自分のことを責めているので
相手とその時の自分を重ねてしまうから

ということと
自分だけが自責の念に囚われていて
相手は何も気にしていなさそうなところが
イライラするから
ということもあると思います。

繰り返しになりますが
元の性格はあまり関係なく
誰でも無自覚にやってしまいがちだと
思っています。

今でも、いじめ、パワハラが無くならない
一つの原因でもあると思います。


「自分は、
自分がされて嫌なことを人にはしていない!」
と胸を張って言える人もいるのかもしれませんが
それは、先程お話をしたような
Aに嫌なことをされた場合であれば
ということではないでしょうか。
Bに嫌なことをされた場合でも
同じことが言えるのかと疑問に思います。

対処法としては
どれだけ
相手とその時の自分を重ねたのだとしても
その部分だけが重なったのであって
結局は、人は人、自分は自分で、
違う人間なんだと理解することと
自分にも相手にも優しくなる
ということなのかもしれません。

ここまでお話してみて思ったのですが
「自分がされて嫌なことは人にはしないこと」
という言葉は
「自分に優しくしよう。」
という意味も込められているのではないかと

少し思いました。


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