人目を気にしていた自分⑩


自分は結局
「人目を気にしていた自分①」の時からずっと 
人目なんて気にしていなかったのではないかと
今となっては思います。


これは↑このお話の続きです。

周りからの否定的な言葉や
馬鹿にされているような言葉が怖かったり
そのように思われていることも怖いので
自分は浮かないように髪型とか服装を考えている

自分ではこのように認識していました。
(このように認識してしまった理由を
あとでお話をします。)

でも実際は、例え上記のようなことを
言われたり思われたりしても
自分がそれで良いと思っているなら
「浮かないようにしないと」などと
思わなかったのではないかと思います。

つまり自分自身で納得できている状態であれば
人から何と言われようと気にしなかったはずです。これって
人目を気にしていることにはならないですよね。

また、私がこのように認識してしまった理由として

小学生の頃の自分は
本当に人目を気にしていたと思うからです。
小学生の頃は
勿論全員とは言いませんが
教師も生徒も人の粗探しをするような人が多く
目をつけられたら終わり
みたいなところもあったため
とにかくみんなと同じでいたいと思っていました。
目をつけられることは怖いのでそれこそ
浮かないようにみんなと同じでいたい
と思っていました。
そのような意味では本当に
人目を気にしていた時期だと思いました。

しかし、中学生になって自分は
本当に普通のラインから外れたと思いました。
とある事がきっかけで私は
(まあ、このきっかけがなくても
こうなることは時間の問題だったとも思います。)
クラスで1人も友達が出来なかったんです。
それで良くも悪くも
全てがどうでも良くなりました。
みんなと同じになりたいと思っても自分は無理だし
1人でいるのも慣れてみると案外気楽で
そもそもみんなと同じように
友達を作ったりするのってそんなに重要?
とまで思っていました。
そして、みんなと同じであることの重要性が
小学生の頃に比べると格段に低くなり
また、思春期に入ったこともあったためか
「自分とはなんなのか」「自分はどうしたいのか」
ということもとても気にするように
なった時期だと思います。
人の評価よりも自分自身のことに
関心が向いていたと思います。
そして
ズルズルと大学生になった感じだと思います。

つまり小学生の時と中学生の時では
気持ちの変化が 
起こっていたということだと思います。
しかし、私は自分の気持ちの変化に気付きにくく
大学生の自分も小学生の時の自分と同じように
人目を気にしていると勘違いしたのだと思います。

また、人間は誰しも
人目を気にするような性格を持っているため
自分もそれに違いない
それが少しみんなより強いだけ
というような思い込みもあったと思います。

「自分はこのような気持ちに違いない」
というような思い込みは
ASDの方やそうではない方関係なく誰でも
経験する可能性があると思っています。

お話を戻します。

ここまで振り返ってみて思うのが

このお話の本質は

「人目を気にしているしんどさ」
ではなく
「自己否定の強さ」と
「自分が見ている自分の姿に確信が持てない怖さ」

だったように思います。

自己否定が強いが故に
自分のことを受け入れられるストライクゾーンが
格段に狭いため
「好きなことをしていたい」というような
気持ちがあっても
その好きなことをした結果の自分を
好きになれない。
自己否定が強い人ではない場合は
結果がどうであれ好きなことを出来ているから良い
と考えるのだと思いますが
自分は何故かこれが出来ない。

また、これは当たり前の事なのですが
人は自分の姿が他者からどう写っているのかを
理解することは不可能です。
かろうじて、写真、鏡などが
他者から写っている自分に近いのかもしれませんが
限界があると思っています。
本当の意味で自分自身が他者から  
どう写っているのかを知るということは
自分が自分でいる限り不可能だと思います。

これは当たり前の事なのですが
私はこの事実が怖くて仕方がなかったです。

みんなはどのようにして
この怖さと折り合いをつけているのだろうと
不思議で仕方がありません。

「人目を気にしていた自分⑥」で
《鏡で何度も確認した》と書きました。
確認をした理由も
それをしている当時は気づかなかったのですが
今から思えば
自分の姿が他者にどう写っているのかが
分からない怖さがあったのだと思いました。

この怖さは今でも続いています。

これは人目を気にしているということに
なるのではないか?と思ったのですが
やはり微妙に違うと思いました。
もしも、他者からうつっている自分の姿が
自分自身が納得出来ない姿だったら嫌だな…
という気持ちがあると思うので
やはり、自分が納得出来るか出来ないかを
軸に考えていることには違いないため
やはり、人目を気にしているとは微妙に違うかな
と思いました。

以上の理由から
自分は人目を気にしていなかったのかも
と思いました。
しかし、人目を気にしている自覚がある人が
実は人目を気にしていたわけではなく
もっと別の所に問題が隠れていた
ということは
割と良くあることではないかと思うので
このタイトルにして良かったのではないかと
思います。

これまでもお話したように 

自己否定が強く
好きなことをしたとしても
その結果の自分が好きになれず悩んでいて
でも、
好きなことをしたいという気持ちは変わらない。
でも、自己否定も強い。
そんなどうしようもない気持ちを
抱いていた自分でしたが

自分に似合うと思うもの且つ
自分の好きな服装や髪型は
どのようなものかを調べていくにつれて
パターンというものが掴めてきて
お洒落が楽しくなってきたんですよね。

これはとても良かったと思うのですが

自己否定の強さが消えたわけではありませんし
自分が見ている自分の姿に確信が持てない怖さ
も消えたわけではありません。

つまり、問題はあまり解決していません。

特に、私は小学生の低学年ぐらいから
漠然と自分が嫌いだったと思います。
最後に自分の事を好きだと思った時なんて
幼稚園児ぐらいの時だと思います。
でも、漠然と自分が嫌いなのは
みんなも思っていると思っていました。
だから、「自分に優しく」
という風潮が理解出来なかったんです。
ただでさえ自分が嫌いなのに、優しくなんて
出来るわけないだろうと思っていました。
でも、自分への甘さが故に
自分に甘くなってしまったことはあります。
そんな時は当然罪悪感しか湧きません。
ですので
自分に優しくしてよかったと思ったことなんて
人生で一度もないかもしれません。

でも、誰よりも何よりも自分の事を考えて
誰よりも何よりも自分に期待している。
それが今の自分だと思います。

自分でも
「なんなんコイツ意味わからんわ」
と思ってしまいました。
この状態はまだまだ続きそうです。

これで、人目を気にしていた自分のお話を
終わりたいと思います。

ありがとうございました。



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