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ギターと孤独と蒼い惑星 感想

『ぼっち・ざ・ろっく!』挿入歌『ギターと孤独と蒼い惑星』を聴いた感想書きます。
『ぼっち・ざ・ろっく!』は女の子4人が「結束バンド」という名前のバンドを組んで音楽活動をするというアニメ。
主人公の「後藤ひとり」が陰キャというのが特徴。ニックネームは「ぼっち」。



ライブでの演奏が、感情の発露を音楽に乗っけて観客にぶつける、魂のこもった演奏っていうのが良いものだとして。
それはいわゆる、「ライブ感」とか言われたりするのかもしれない。

足りない足りない 誰にも気づかれない
殴り書きみたいな音出せない状態で叫んだよ
「ありのまま」 なんて誰に見せるんだ
馬鹿なわたしは歌うだけ
ぶちまけちゃおうか星に

陰キャで感情表現が苦手で臆病な人間が人前に立ったとき、果たしてそんなにも自分を開放できるのだろうか?
自分の「ありのまま」を見せるのが怖くないなら、陰キャじゃない。
殴り書きみたいな音というのが、正確さよりそのときの感情を乗せた音だとして、陰キャな自分は練習通りの機械的な演奏を披露するだけで、そこに魂なんてこもってなければ、観客に何も伝わらない。

エリクサーに張り替える作業もなんとなくなんだ
欠けた爪を少し触る
半径300mmの体で必死に鳴いてる
音楽にとっちゃココが地球だな

音楽にとっちゃココ(ギター)が地球だなっていう表現、素直にすげーー。
自分が歌詞考えたとして、この表現一生出てこない。

音楽にとっての地球がギターだとして、それは何を表しているんだろう?
地球が”中心”とか、”世界”の表現だとしたら、自分の音楽にとって、ギターが全て。
バンドならドラムやベース、ボーカルもいるけど、孤独な自分はたった一人でギターをひたすら弾き続けてきただけ。
独りよがりのエゴな音楽なら、ギターが地球で、他の全ては宇宙の星になる。

そう考えると、サビの「ぶちまけちゃおうか星に」が、観客や周りの人間を星に見立てているようにも感じる。

眩しい眩しいそんなに光るなよ
わたしのダサい影がより色濃くなってしまうだろ
なんでこんな熱くなっちゃってんだ止まんない
馬鹿なわたしは歌うだけ
うるさいんだって心臓

周りの人間が輝けば輝くほど、自分の陰が目立つという表現。
それで、自分でもわからないうちに、周りの人間に影響されてどんどん熱い気持ちが湧いてきてしまう。

蒼い惑星ひとりぼっち
いっぱいの音を聞いてきた
回り続けて幾億年
一瞬でもいいから

聞いて
聴けよ
わたしわたしわたしはここにいる
殴り書きみたいな音出せない状態で叫んだよ
なんかになりたいなりたい何者かでいい
馬鹿なわたしは歌うだけ
ぶちまけちゃおうか星に

この曲、「結束バンド」と「後藤ひとり」の関係を描いているんだと気付く。
また、「後藤ひとり」と「観客」かもしれない。




本当に『ぼっちざろっく』の熱い部分を表現していてすごく良い。
この作品は誇張しすぎた陰キャ表現と、めちゃくちゃなギャグパートがあるので、一見すると、

このアニメは女の子の可愛さをお楽しみ頂くため邪魔にならない程度の差し障りのない会話をお楽しみいただくアニメです。

じょしらく

のような日常系萌えアニメのようにしか見えないのだけど。

ただ、ライブパートはちゃんと熱くて、ロックしてる。
「陰キャ」という属性を、いかにロックとして表現するか。
そのために作られた楽曲と、ライブパート。
主題歌の『青春コンプレックス』も良い。

おそらく、今期No.1人気の『ぼっち・ざ・ろっく』
日常系の雰囲気が苦手でなければ、見てみてほしい。
ライブパートが熱くて良いです。

余談だけど、ライブパートはおそらく、演者(バンド)に実際に演奏してもらった映像か、そのときの3Dデータをアニメにしていると思う。
ベースが開放弦を弾くときに左手をだらんとぶら下げる癖(この行動自体に意味はないので本当にただの演者の癖だと思う)とか、細かすぎて元データもなしにアニメで表現できるとは思えないので・・・
そういう細かい描写が洒落てると思って画角合わせた、みたいなカットになってるし。


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