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モーツァルト・弦楽四重奏曲「プロシャ王セット」

2015年に書いた解説原稿をweb用に加筆修正しました。ちょうどピアノチクルスで同時期の作品をやるので、自分のアタマの体操のために書いてみました。昔書いた原稿にはモーツァルトの原稿もけっこうあるんです。



プロシャ王セット

3曲からなるプロシャ王セットはモーツァルトの最晩年、1789年に作曲されました。モーツァルトの全弦楽四重奏曲の最後の3曲でもあります。

第4代プロイセン王フリードリヒ・ウィルヘルム2世の依頼で作曲されました。

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ウィルヘルム2世がチェロを弾くこともあって、チェロが大活躍するのがこの3つの四重奏曲の大きな特徴です(王は名チェリスト・デュポールに教わっていました。)。時として第1ヴァイオリン以上に活躍するチェロパートは技術的に非常に高度で、素人演奏家だったウィルヘルム2世にはおそらく歯が立たない部分も多かったでしょう。事前に「チェロパートを易しく」書いて欲しいとリクエストがあったはずなのですが、モーツァルトはそのことを忘れてしまったのでしょうか?異常に難しいチェロパートを書いてしまいました。まあ、忘れてたんでしょうね。本来は6曲セットの注文でしたがモーツァルトは3曲しか完成させることができませんでした。この時 一緒に注文されたフレデリーケ王女のための6曲セットのピアノソナタも結局1曲だけしか書けませんでした。このピアノソナタが技術的にめっちゃ難しいことで知られるソナタニ長調KV576です。当時、モーツァルトはスランプで元気がなかったので、こういった注文にきちんと応えられないことも多かったのです。従ってフリードリヒ2世の注文はいつの間にか立ち消えになってしまいました。でも、結果的にその方がよかったでしょう。ウィルヘルム2世がいくら上手でも、これは難しすぎて弾けなかったでしょうから......もしこのまま献呈されていたら、不興を買ったかもしれません。

「プロシャ王セット」は「ハイドンセット」に比べると明らかに人気がありません。やっぱり気力も体力も充実していた頃の「ハイドンセット」は異常な天才が炸裂しまくっていて作品の集中度も高く、キャッチーで聴き応えがあるんです。それに比べると晩年の精神性が特徴的な「プロシャ王セット」はどうしても地味に感じられてしまう。集中度というよりも「広がり」が特徴でもあります。奏者の側も作品の素晴らしさはとてもよくわかっているけれども、技術的に超難しくて怖い上に、お客さんの受けもハイドンセットに比べるといまいちなので、ちょっと敬遠しまうところがあるんじゃないでしょうか。聴けば聴くほど味のあるいいセットなんですけどね....

♠️弦楽四重奏曲二長調 KV575(プロシャ王 第1番)


1789年6月、モーツァルトは北ドイツ旅行から戻ると、プロイセン王から注文された曲の作曲に取りかかりました。それがKV575の四重奏曲です。同時期に書かれたピアノソナタKV570クラリネット五重奏曲と同じように第一楽章のテーマは息の長い「歌」です。このテーマで導かれる世界は広々と澄み切っています。静穏な二楽章に続く第3楽章はちょっとスケルツォ的です。フィナーレは誤解を恐れずに言えばベートーヴェンのように雄大で、ラズモフスキー第1番大公トリオにかなり近い雰囲気があります。モーツァルトはラズモフスキー第1番よりずいぶん前に室内楽でこういった雄大さに到達していたんです。雄々しさとモーツァルト晩年の透明感や儚い微笑みが同居してるところが凄いです。

第1楽章のテーマ👇は息長く歌うアレグロです。

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モーツァルトはこのテーマを全曲にわたって駆使しています。第2、3楽章のテーマも、1楽章の主題から導かれたものですし、

フィナーレのテーマ👇は、ご覧になってわかるように1楽章のテーマの音価を変えただけのもので、ほとんど同じです。

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これは19世紀の循環形式を先取りしています。全曲を一つの素材で有機的に統一しているのです。展開の仕方はベートーヴェンみたいに徹底した「動機労作(主題労作)」を試みています。スランプなのにこのような体力と集中力が必要な手法で素晴らしい結果を出してしまうあたり、モーツァルトの天才の恐ろしさを思い知らされる感じがします。感覚的に作曲する傾向のあるモーツァルトですが、晩年になると対位法を使ったり論理的な主題労作に熱中することが増えてきました。明らかに大バッハの影響です。イタリア的でロココだった彼は、最後の最後に大バッハの伝統の中に身を投じていったのです。

動機労作や対位法は徹底すると息苦しくなりやすいのですが(ベートーヴェンやブラームスって時々ちょっと息苦しさを感じませんか?)、モーツァルトは凝った主題労作をしても常に風通しがよくて息苦しさはほとんどありません。

動画はゲヴァントハウス・カルテットです。動画だとチェロが容赦なく高いポジション(古典派としては異例の音域!)で難しいことをやらされているのがよくわかると思います。

♠️弦楽四重奏曲変ロ長調 KV589(プロシャ王 第2番)

プロシャ王第2番KV589は、プロシャ王第1番の一年後に作られてます。1790年5月。スランプ期でやっぱり筆が(気が)進まなかったんでしょうね。この時期モーツァルトはオペラ「コシファントゥッテ」を別にすればピアノソナタK576、名作・クラリネット五重奏曲くらいしか書けていません。筆の速いモーツァルトとしては尋常じゃない少なさです。当時のモーツァルトの経済状態はますます悪化して必死で金策に走り回り、体調もすぐれませんでした。第1番よりはこじんまりした出来です。内容はさすがに素晴らしいですが、モーツァルトの覇気のなさもちょっと感じられますね。

動画はアルバンベルク・カルテットの演奏をあげておきました(凄い演奏です)。この動画はスコア付きなので、普通はだいたいヘ音記号(低音部記号)で書かれているチェロがト音記号でたくさんメロディを担当してることが楽譜で確認できるかと思います。6分20秒あたりから第二楽章なのですが、このテーマはチェロで提示されます。例によってト音記号です。通常はヴァイオリンで弾く音域です。ヴィオラでもこの音域はチェロほどではないものの気分的に楽ではないです。だからもちろんチェロはものすごく辛い💦です。チェリストにとってはシビれまくりの開始です。でも、これをちょっとがんばってチェロで弾くからいいんですよね。緊張感が出るし、メロディに凛とした気品が出ます(まあ、うまくいけばね・笑)。ヴィオラもチェロの役割もこなしつつ大活躍します。三楽章のメヌエットでチェロはようやくちょっと地味な感じになります。モーツァルトは突然ここで「チェロパートは易しく」とゆーリクエストを思い出したのかもしれません(笑)。やっぱりADHDっぽいのかな。



♠️弦楽四重奏曲変ロ長調 KV590(プロシャ王 第3番)

この作品はモーツァルトの最後の弦楽四重奏曲です。三曲セットの中では一番外向的で華やかな楽しい曲です。これも動画はスコア付きでわかりやすいので、アルバンベルク弦楽四重奏団のものを貼っておきます。1790年6月の作品なので、プロシャ王 第2番から一ヶ月後です。ちょっと元気が出たのかもしれないですね。チェロの扱いはやや控えめになったとはいえ、決して楽ではありません。チェロが一番低いのド=C線の開放弦から3オクターブ近く上昇して歌い始める第二主題は非常に美しい見せ場ですがチェリストにとって難しい場面です(動画のちょうど1分あたり)。この作品も主題労作によって有機的に全体の統一が図られています。フィナーレ(18m05から)は流麗に始まりますが、驚くほど激しい展開を見せます。16分音符の応酬がスリル満点で、興奮させられます。そして、ストップモーションのように時折挟まれるフェルマータの全休止が非常に効果的です。



ハーゲン・カルテットの録音がやはり素晴らしいです。このディスクはプロシャ王セットが3曲まとまって入っていて、しかも安い。良いです

ピリオド系でしたらモザイク・カルテットの録音はいかがでしょうか。このディスクも3曲まとまっていて便利です。ぼくはものすごく好きな演奏です。自分の音楽的ルーツに近いんですよね。変な言い方かもしれませんが、いい意味でピリオド的ではない演奏です。ピリオドの良さはしっかり生かしながら、ピリオド特有のクセが薄いように思います。


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余談

17世紀から18世紀にかけてのプロイセン王家には天才音楽家たちが集い、素晴らしい音楽が花開いていた時代です。先代の第3代プロイセン王・フリードリヒ2世(フリードリヒ大王)はフルートを吹き、作曲もする王様でした。ヨハン・セバスティアン・バッハの「音楽の捧げ物」BWV1079のテーマ(大王のテーマ)を与えたことでも有名です。世界史的にも圧倒的存在感を誇る王様ですが、音楽史でも「音楽の捧げ物」のテーマを作った王様ということで永遠にフリードリヒ大王の名前は残るでしょう。ご存知ない方は6声のリチェルカーレトリオソナタだけでもぜひ聴いてみて下さい。

音楽の捧げ物はトリオソナタ以外の曲は楽器指定がないので、演奏者によって編成はそれぞれ異なっています。ぼくが昔から偏愛してるのはパイヤールの録音です。


フリードリヒ2世の時代にはクヴァンツグラウンベンダらが仕えていました。錚々たる顔ぶれです。

第4代フリードリヒ・ウィルヘルム2世の時代にはデュポールが仕えていましたし、ボッケリーニも宮廷と密接な関係がありました。モーツァルト以外にもハイドンが6曲からなる弦楽四重奏曲集「プロシア重奏曲」Op50を、ベートーヴェンが2曲からなる「チェロソナタ」Op5をフリードリヒ・ウィルヘルム2世に献呈しています。凄い作品ばかりです。

ベートーヴェンは1796年、リヒノフスキー侯爵に連れられてプロイセンの宮廷を訪れています。それで、チェロを弾く王様のために2曲からなる「チェロソナタ」Op5を作曲して王様に献呈したのです。ちなみに1789年にモーツァルトをプロイセンの宮廷に連れて行ったのもリヒノフスキー侯爵でした。






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