見出し画像

儚い人生を遊ぶ。

わたしは
幸せすぎる時間のことや
大切すぎる思い出を、
何故だか人に気軽に話すことが出来ない。

それを一緒に共有した相手とさえ
「楽しかったね♪」「良い時間だったね~」と
さらりと振り返ることはあっても、
じっくり語り合うことはない。

怖いんだな。
夢みたいな宝物みたいな記憶が、
泡のように儚く消えてしまいそうで。

わたしの中ですごく神聖な幸せな、
密度の濃い光の強いものほど 儚く脆く感じる。

今も実際に
明確に思い当たる素敵な思い出が沢山あるけど、
大切すぎて自分自身でもその宝箱を開けることが出来ない。(ビビり?貧乏性?‥笑)

わたしたちは常に「今」を生きていて、
と言った次の瞬間にはもうそれは過去になってしまうくらいに儚い時間の積み重ねの上で呼吸していて、
瞬く間にどんどん時空を超えていく。

その中に 本当は
抱えきれないくらいの愛しい幸せと
無数の奇跡があることを
わたしは知ってしまった。
よくいわれている、
「日々の中にある小さな幸せを大切に」なんて言葉すらも薄っぺらく傲慢に思えてしまうくらいに、
本当はもっと宇宙的な神業の上ですべてが在るということを。

この発見は、
わたしの最大最強の生命力になると思う。

だから、
毎日の習慣
毎分の選択
毎秒の感覚
それらが作り出す“わたし”の時空を、
惰性に委ねてしまうことや
主導権を放すことは
本当に残念で悲しいことだと思う。

横軸─縦軸│立体○と、
その先にある空気感や音、質感、温度、香りなど。
それらを感じられることは
人間の最高の遊びであり 喜びであり、
それらが生み出す奥行きのある記憶って
いつまでもずっと幸せな気持ちでいられるお守りになったりするし、
宝箱に沢山沢山丁寧にコレクションして
どんどん無敵な自分になっていける。

きっとそういうことに夢中になっていたら、
世の中の動きによって自分がブレたりせず
むやみに人を傷付る暇もなく
いたずらに心をすり減らしたりせずに、
ただただこの命を遊ぶ感覚で生きていけると思う。

そして皆が優しくいられると思うんだなぁ。。

だから気付いてほしいと切に願う。
“生きる=遊ぶ”には程遠いどころか、
感覚や思考すら使わずに
無頓着に人生を消耗していくのはすごくもったいないことだと。
それに気付いて生きることは、
わたしたちが持つ感覚や叡知を、
もっと世界を良くするために巡らせていけるということを。

偉くも賢くもないただのアラフォーですが、
このところ 日々、
こんなことを考えている。

文章にしたら空気の魔法に乗って世界へ巡ってくれないかなぁなんて淡い期待を抱いて。

そんな私が唯一出来ること。↓

少しでも誰かの明るい優しい気持ちに繋がったらいいな。 そんな想いでゆるゆると発信&アロマを創作しています。 サポートいただけると励みになります! https://ayanas-aroma.amebaownd.com/