前期が終わりかけている。

こんばんは。やっすいうどんとそばの粉っぽさがいまだに許せないよしもっちです。ついでに、パックのうどんも好きじゃない。(冷凍うどんなら許せる)今回もお付き合いください。


 前期が終わりかけています。長い長い夏休みが始まるみたいで、少し寂しくなります(小中高と同じ気持ち)。自分のとっている授業の中には、今週で最後となるものがあります。自分はまだ1年生なので、しくみはよくわからないのですが、先輩から聞いた話によると1学期ごとに先生が変わってしまうらしいです。いや、意外と普通のことなのですが、僕が通う大学では英語A1と2、B1と2って1年間をかけて英語の授業があるわけなんです。それは知っていたのですが、同じ名前なら先生も同じでしょみたいなノリでいたら、その先生が変わってしまうということを最近聞いて、とてもショックでした。とても丁寧な授業をしてくださる先生でした。最後と思うと、その先生がどんな授業をしたかとか、どんな人間性だったのかが気になってしまいます。自分が学べたこと、学べなかったこと、他にもいろいろ。どこをとっても、自分たちがその先生たちの授業を受けていたことは変わらないし、どこかで繋がっていたことも変わらないです。しみじみした気持ちになってしまいましたが、結局のところは、ただなんか寂しいわけです。もっと知りたかったって思ってしまう。最後になると、考えてしまう。半年にも満たない、たった15回くらいの授業だけでも、僕は親しみが沸いてしまうみたいです。僕にとっては、授業が終わるということは、重大な別れがあることです。しんみりするし、ちょっと悲しい。でも、引き際の極意みたいに、終わりはなんか美しい。これが毎回あると思うと、おれ耐えれるかな?って疑問に思う。



 最後とか、終わりを意識すると「けじめをつける」ってスイッチが入って、集中したり、意識高い系になったりことがあります。

 でも、それだと僕が目指しているところは獲れない。けじめつける時点で、余力あるわけじゃないですか。毎日、毎日、全力で圧倒的努力ができなきゃ意味ないんです。自分にとっては。でも、僕にはその有り余るエネルギーをかける場所が見つからない。だから、いまとても苦しんで、迷ってます。

 ただ、全力でいまを生きる。いまの自分ができることだと思います。毎日全力出し切って、死にそうになってもギアチェンジしてまた死にそうになって。それくらい、やり切った後に、noteを書く。自分と向き合う時間を大切にして、確実に毎日レベルアップしていきます。


お付き合いありがとうございます。お疲れ様でした。


おやすみなさい。

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