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ことばの備忘録 #1 「頭のいい人」


大学に入ると、周りには「頭の良い人」がたくさんいた。ここでいう「頭が良い」は普段よく使う、「成績優秀」という意味だ。

地方のごく普通の高校に通っていた私でも知っているような超難関高校であったり、地元では見たことのないくらい高い偏差値の高校出身の知り合いや友人がたくさんできた。

センター試験の得点率やTOEFL、TOEICの点数を聞いた時、膨大な知識を当たり前のように知っているところを見た時、その度に「この人たちはどんな風に勉強してきたんだろう」と自分との差に圧倒された。

「すごいなぁ、私も頭が良かったらなぁ。」

そう思ったことは1度や2度ではない。


叔父の考え


そんなことを考えていた時、ふと、以前叔父とした話を思い出した。

はじまりは、「学校はどう?」と会うたびに聞かれる質問に、いつもと変わらず「課題がね…」と苦い顔をして答える。

そうかー、大変だなあ。と叔父は笑った。

「でも、いつか苦手な問題でも解けたり楽しいって思える瞬間が来るよ」

大学時代、叔父は数学の家庭教師のバイトをしていた。

「おじさんは理数系すごく得意だから。頭の良い人には私みたいに頭悪い人の気持ちがわからないよ、きっと」

なんとなくやさぐれて、軽い気持ちでそう答えた。

返ってきた言葉は意外な言葉だった。

「頭がいい人って、どんな人だと思う?」

急に真面目な表情で問いかけられた質問。

そりゃ勉強ができる人でしょう?」

むしろ他に何があるのか。

「もちろんそうだね。」

「けど僕は、

『頭がいい』ってことばの本当の意味は、少しそれとは違うと思ってる。


『頭のいい人』っていうのは、他人の気持ちを慮ることのできる、要するに『人の立場に立って物事を考えられる人』だと思うんだ。」


友人の話


この言葉について考えてみた時、同時に少し前にあった出来事を思い出した。

友人が、好きな芸能人について別の友人に話したところ、「その人私きらいなんだよね」と笑われ傷ついたという話だった。

自分が好きじゃなかったとしても、友人がずっと大切にしてきたものを、面と向かって貶すことがあるのかと、とても驚いた。

この時、「きらい、気持ち悪い」と言い放った子が勉強のできる子だったとしても、確かに私はその子を「頭のいい子」とは思えないなと感じた。

冗談とかノリとか、そういうのだってある。それがよくないと思っているわけではないし、むしろそういう要素は会話を楽しくするものだと思ってる。

だからこそ、誰かを傷つけることだったり、言うべきではない場面であったり、そういうことに考えを巡らせられない人のことを「頭のいい人」とは言えないのではないか。

そう考えると、むかし叔父が言っていた「頭のいい人」の定義は確かにそうなのかもしれないなと思った。

『頭のいい人』とは、他人の気持ちを慮ることのできる、要するに『人の立場に立って考えられる人』のこと


だとしたら


だとしたら、勉強ができるという意味での「頭の良い人」にはなれないけれど、「頭のいい人」には、いつでも誰でも、だから今からだって、私だってなれるかもしれない。

もちろん両方の意味で「頭のいい人」になれたら理想なんだけど。












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