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親孝行、してますか?

冬休みということで
息子といろんな話をします。

元日のニュースがあり、
今日は『命』と『時間』の話をしました。


私が高校生の時に
母が再婚し、お嫁にいき、
私は育った家で祖母と弟と3人で暮らしていました。

19歳からパニック障害になり、うつ病と摂食障害になり、
21歳からは完全に引きこもりが始まりましたので
同じ屋根の下で暮らす祖母には、とっても心配をかけたと思います。

病気が寛解して、社会復帰し始めたのが28歳。

やっと仕事に行き始めて、最初のお給料を祖母に全部渡して、
その次の年、祖母が亡くなりました。
弟は家を出ていたので、その頃、祖母と暮らしていたのは私だけでした。

朝起きたら、部屋に朝食の用意をしたまま
トイレで倒れて亡くなっていました。

本当に、とっても後悔したんです。

何もかも、足りてなかったと思いました。
言葉も、気づきも、優しさも、何もかもです。

人間は、時に、
あまりに楽観的で怠惰で
明日もまた今日と同じ日常がやってきて
愛していると伝えられると思っています。

ちょっとした意地で伝えそこねた「ごめん」も
照れて言わなかった「ありがとう」も

明日また、同じように伝えられるとは
今の私は考えなくなりました。
行動も同じです。

今、母と父にできることを
明日にのばさない。

今、母と父に伝えたいことを
明日にのばさない。

息子に対しても同じです。

私は、親孝行は”ごっこ”だと思っています。
親が亡くなった後に、後悔しないための、完全に自分のためだけの”ごっこ”です。
優しさとか、感謝とかじゃなくて、完全に自分のためだけです。

やっておかないと後悔すると思うからです。
どんなに親と仲が悪くても、
どんなに昔、わかってもらえなくて寂しかったとしても、です。

もし自分が先に死んでしまうとしても、
やり残したと後悔をしたくないのです。

完全に自己満足のためだけですから、
ありがとうと言って欲しいわけでもないし、
褒めて欲しいわけでもありません。


後悔なんかしない、
親孝行なんかする気がない。
後悔したとしても、別にそれで構わない。

という方もいると思います。

でも。
それは、きっと。
生きているから思えることです。

私はいまだに、
倒れている祖母を触った時の感覚を覚えています。

生きている間は、
言葉も、行動も届きます。
手を握ることも、背中を支えることもできます。
優しい言葉をかけることも、お年玉をあげることもできます。

亡くなってしまったらそれはもう叶わない夢になってしまうのです。

人間は、心理的に距離が遠い人のことを祈ったり
親切にしたりするのは得意です。
でも、近しい人には、甘えもあり、
厳しく、失礼になってしまうのだそうです。

だけど本当は、
近しいところから満たしていくものなんじゃないかなと思っています。


お正月、
何か親孝行しましたか?
あなたの近くにいる人の、手を取りましたか?

生きててくれてありがとうって、親に、パートナーに言えますか?


愛をこめて
elly



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