自分を支えてくれる友人のお話

最近、頭を抱えることが多くて、本当にまいっている。そんな時にいつも話を聞いてくれる友人がいる。仮にAさんとする。

Aさんとの関係は、自分の人生の中で1番不思議な友人関係だなと感じている。まず、性格があまり似ていない。お互い気遣いを大切にしているという根っこの部分は一緒なのだけれど、私は自分の気持ちを包み込んで包み込んで話してしまうのに対して、Aさんはストレートに気持ちを伝えることが出来る。(もちろんそれがズケズケとした物言いというわけではない。)

また、メンタルが弱い、というくくりにはどちらも当てはまるけれど、なんとなくメンタルのやられ方のベクトルが違う。具体的に言えといわれるとちょっと形容しがたいけれど。

そして、共通の趣味もほとんど無い。どちらも国語が専門という点は大きな共通点なのだろうけれど、私は国語それ自体が好きで専門にしているのに対し、Aさんは教育をするためのツールとして好きな訳ではなく得意であった国語を選んだというのだから、やっぱり少し違う。

出会いたての頃から、割とあけすけな(敢えての表現)会話をできる貴重な友人ではあったが、もともとはじめからAさんと良好な関係を築けていたかというと、実はそうではない。出会った頃のAさんはなかなかに依存体質を極めていて(今でもメンヘラを自称するだけある)、私は私で特定の行動グループを作らない、1人で行動するのが居心地いい孤独タイプで、最低限の付き合いは全然良いけれど、深いところまでは…というような態度をとってしまっていた。後々「あの頃あなたがちゃんと距離とってくれてよかったよ。そうでなかったら大学生活あなたにずっと執着してしまうところだった笑」といわれて心底ほっとしたことがある。(失礼)

おそらく今のように良好な関係を築けるようになったのは、出会って一年以上経ってからだと思う。徐々に私が自己開示を出来るようになり、Aさんの寄りかかり方と、自分の寄りかかり方が平等になったことで、持ちつ持たれつの関係が完成したのだ。今では、自分が仮に結婚というものをできたとして、友人代表のスピーチはAさんにしてほしいなと思えるくらいには信頼している。このnoteを目にすることは無いと思うけれど、ありがとうAさん。お互いに自分が持っていないものを持っていることに気づき、それを立てられる。なんて思慮深い人間たちなのだろうか!!!!!!!

とまぁ、Aさんについての話はここまでとして、最近の悩みをAさんに電話で話した時、目から鱗が1兆枚ほど落ちた話があったため、ここに書き残しておこうと思う。

自分は自分のことをそれまで「もともと能力がないのに周りの期待やイメージに自分を引き上げようと無理している人間である」と認識していた。だからこそミスが多かったり、病んだりするのだと。しかしながらAさんはまずこういった。

「能力はある。あなたがまじめなのもしっかりしているも事実。ただ、その能力に対してメンタルの安定面が弱いだけなんだよ。」

なるほど。けれども、例えばサークルの運営の能力があると仮定したとしても、こうすれば!と提示していややっぱり…と訂正することがおおかったり、ミスをしたり、突っ走ったりしていると自分は感じるから、やはり能力はないに等しいと思う。そのように自分は答えた。

するとAさんは、もちろん自分の良いところも直すべきところもちゃんとわかってくれていて、それをすばらしい具体例でもって説明してくれたのである。

「私は○○をやっているよね?(Aさんのやっているスポーツ。持久力よりも瞬発力、腕力が勝負の鍵を握る種目。)私は力があるから○○は出来るけれど、持久力がないから、持久力が問われると過呼吸になったりする。けれども、スポーツが得意かどうかといったら、得意。何かが得意だという時に、その全てが得意だという人は稀にいるけれど、そういう人の方がめずらしくて、それぞれが持っている長所を伸ばした結果、得意だと言っている人のほうが大半だよ。そういうものでしょ?」と。

さらにAさんは続ける。

「さっき話していたサークル運営ひとつとっても同じことだよ。例えば私は人に指示を出すのが得意だから、もし人が倒れたら「あなた救急車呼んで」「あなたAEDもってきて」って指示を出して、実際にやるのは他の人に任せるよ。(←もちろんものの例えであって、実際の緊急時はそれなりの行動をすると思うが笑)あなたは本当はそれらを実際にやるのに長けている人だけれど、「救急車も!!AEDも!!あ、汗吹きますか?あ、水飲みますか?」というふうに何でもこなそうとして、それにメンタルが追いついていないんだよ。自分ができること以外はまかせる。それが大切だよ。」と。

ここまできて、もうなんて素敵な友人をもったのだろうかと思った。万歳を千唱くらいしてやろうかと思った。(おっとナチュラルにRAD好きが出てしまった。)自分の能力が無いと否定するのは簡単だが、それではただ自己肯定感を下げるだけで何の解決にもならない。自分の裁量を見極めて、引き下がるところは引き下がる。そんな勇気が自分には必要なのだ。

自分の母親は、やたらと「自分はできない子だ」という人だったような気がする。(と簡潔に伝えるとひどい毒親のように聞こえるが、実際そこまではない。キチンと愛情は受けて育ったと思っている。)なぜそう思ったか、理由はふたつある。

1つ目は、自分ができたことに対して、手放しで褒めてくれる時と、なにか水を刺すようなことをいって褒めてくれる時とがあったから。人間不思議なもので後者の方が印象に強く残る傾向がある。

例えば自分が1番印象に残っている例を挙げると、中学二年生の時、ありがたいことに自分の書いた読書感想文が市区町村の評価を超えてさらに都道府県で佳作をとったのだが、その作品について「でもあなたの書いた感想文は、一般的な感想文とはちょっと違うよね…。」と言われたのだ。確かに、当時自分が選んだ本は、原発の被害にあったとある学校の学級全員の生死を追って書いたノンフィクションの究極といっても過言ではないような本であったため、いわゆる物語文に対する感想とは異なっていたかもしれないが、それで手放しに喜べなくなったのは事実である。

また、後者の褒め方をしていたのは父親のほうが多かったはずだが、父親とはもともと会話の量が少ないのであまり印象には残っていない。というか、母親が昔からそういう人だと割り切っているので自分も幼い頃から割り切っていた。もちろん父親も毒親ではないと思うし、嫌いでもない。)

2つ目は、母親が担任などにやたらと牽制をするタイプだったから。牽制というのは、担任が私に対して「あなたは出来る子だから。あれもやってみろ。これもいいぞ。よしよくやった。次もやってみろ。」と色々と期待をかけてくれることに対して、「いえ、本当に、そこまで期待を掛けないでやってください。潰れてしまうので。」と伝えていたことや、家に帰っても「あなたは打てば響くから色んな人が期待をかけてくれるけれど、もうそれ以上打たないで〜って伝えないとね」と言っていたことだ。今思えば、Aさんと言っていることの本質は違わないと思うのだが、私には「期待に答えるほどの器がない」と言われているように聞こえていた。Aさんのように「あなたは○○が得意だから、こうしたことを頑張ればいいんだよ」と言われていたら、おそらく違ったんだろうな、と思う。

これからは、自分の出来ることを明確に認識することを目標にしていこうと思う。嫌味ではなく、なんとなく頑張れば出来てしまうことを、どこまではできて、どこまでは出来ないのか、線引きをしたい。そして、それを武器に、ちゃんと自分を誤魔化さずにいきたい。

そういえば、本当は誰かに助けて欲しいのに、誰かによっかかりたいのに、意地っ張りで強がりで寂しがり屋な自分が、大切にしたいなと思った漫画のセリフがある。

人に心を開くことを恐れて強がってごまかすことばかり考えてた
それをもうやめる
そんなことしなくても私はすごい
タヤマ碧『ガールクラッシュ』2巻 17話 新潮社

そんなことしなくても私はすごいって、言える自分に、いつかなりたいな。