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最終電車。

noteでもTwitterでもこんな気持ち悪い文章を書いていて、わたし、ぼく、あたし、を晒しているつもりなのに、自分を蔑ろにしていると、捉えられていたことの衝撃。もちろん人は多面体なのでここに書いてる私が全てではない、けど、内蔵を晒しまくってるつもりだ。それでも自分をなるべく愛していられるように書いているので、身体ごと原稿用紙をグチャグチャに丸められて捨てられた気分になりました。気持ち悪い部分がその人にとって、蔑ろにしている。だったのだろうか、まあもうそれならしょうがない。そうやって全て諦めていくのかな、諦めたくないなあ。でも、今のネットという媒体で心が削られることはもう無理なので、精神衛生上関わるのは良くないのでどうしても断絶するしかなかった。「怒らないでね」「別に嫌いじゃないけど」などと言う、免罪符を持って言葉を投げつけるのは、ずっと変だよと言っている。わたしは汚いまま生きるし、綺麗なフリして生きるし、バカなフリしてみるし、それで死んだ心も愛してるので、人格が増えても別にいいんです。わたしのなんとか生きる方法を否定しないで下さい。差し迫る時間の中、走って転んで「ワザとだよ?」って言いたい人生だったけど、転んで傷だらけでも走って最終電車に乗って帰りたいのがわたしです。さようなら。

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