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「陶器リング(pottery ring)」製作日誌:序章01-co:doの指輪物語

こんにちは、サクライです。

co:doの半纏に使用した陶器ボタンのこと、皆さん覚えていただいているでしょうか?

地元長野県の伝統的工芸品である松代焼を、復興当初よりその発展に尽力してきた松代陶苑さん。

サクライの妻の実家が松代ということもあり、もともと松代焼に触れる機会があったのですが、陶器ボタンの生産背景を取材させていただいたことで、すっかりその深みにハマってしまいました。

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もはやコレクションというレベルに増えていく我が家の松代焼。
大皿、小皿、湯呑、小鉢、ゴブレットなどなど。
松代陶苑さんの他にも、唐木田陶苑さん、あまかざり工房さんと、
それぞれに特色を持った窯元さんの魅力が楽しめるというのも、
松代焼の沼にハマっている理由でしょうか...

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余談かもしれませんが、唐木田陶苑さんではトルコブルーの器を、
あまかざり工房さんでは土鍋などを、松代焼とは別に制作をされています。
これらを同時に食卓で使うことはないですが、
まるで土星と地球みたいに見えてきませんか?
眺めているだけでも幸せな気持ちになるほどのお気に入りです。

一度は歴史の波に押しやられながらも、唐木田又三氏(唐木田窯創始者)を中心に調査研究の末に復興し、遂には長野県指定の伝統的工芸品として認定を受けた松代焼。

松代藩によって奨励されていた頃から、民間の日用品として親しまれてきた生活陶器は、今現在においても信州の至る所で愛され続けています。

「湯呑や蕎麦猪口、小鉢やお椀など、食卓や住居の中で生活を彩ってきた松代焼をファッションに取り入れることができたら、長野県発のアパレルブランドの取り組みとして面白いんじゃないか。」

そんな思い付きから完全別注に応えてくださった松代陶苑さんのおかげで、半纏の重要なピースである陶器ボタンは完成。
内側のポケットに取り付けることで、江戸っ子の粋にも通じる美意識を持ったデザインへと仕上がりました。

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自分自身で振り返ってみても、「人間とはなんと欲深い生き物だ」と思ってしまうのですが、当然のように半纏は冬のアウターのため、その他の季節では着用することができません。
つまり必然的に松代焼を身に着けることが冬以外はできなくなってしまうのです。

そこで松代焼を活用したファッションアイテムとして、次なる一手として考えたのが、コーディネートのアクセントとなり、アートピースとしても目を楽しませてくれるアクセサリーだったのです。

どのようなカタチで身に着けることができたら楽しいか、周りの人との話のタネになったり、歴史ある日本の伝統的工芸品を誇りに思う機会になったり、そんなアクセサリーになったら素敵だなぁと、色々と試行錯誤が始まりました。

転機となったのは、ある日のこと。
松代焼の陶器ボタンをなんの気なしに眺めていたとき、ふと青流しによる独特の色味に対して、ネイティブアメリカンのジュエリーによく用いられているターコイズという天然石のような風合いを感じたのです。

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いかに職人さんたちの手がかけられて形作られているものとはいえ、日本国内の土を用いて自然由来の釉薬で色付けされている松代焼が、天然石を彷彿とさせるのは当然のことのように妙に合点がいったものです。

こうして、宝石(天然石)の代わりに松代焼を用いたアクセサリーという大枠のイメージが固まりました。

しかし宝石を用いた「アクセサリー」と一口に言っても、リング以外にもネックレスやピアス、ブレスレットにティアラと無数に候補はありました。

「何を作るのか(自分たち自身が何が欲しいのかも含め)」、そして「どのような理由で(歴史的背景や現代のファッションの傾向)」ということを考えるため、『故きを温ねて新しきを纏う(ふるきをたずねてあたらしきをまとう)』という自分たちのスローガンに従い、ジュエリーやアクセサリーの歴史を遡りました。

ジュエリーやアクセサリーの歴史

私たち人類が装飾品を身に着け始めたのはいつ頃なのだろう、という単純な興味から調べてみると、その歴史の深さに驚きました。

クリストファー・ヘンシルウッド氏(ノルウェーのベルゲン大学のアフリカ考古学教授)によって、南アフリカのブロンボス洞窟にて発見された貝殻のアクセサリーパーツ。

世界最古の一般向け科学雑誌Scientific American紙によると、その年代はなんとまさかの桁違いの約7万5千年前。

現存する世界最古の衣類と言われているエジプトの「タルカン・ドレス」が約5千年前のものということをお伝えすると、その桁違いさ加減がお分かりいただけるでしょうか...。

何故、発見された貝殻たちがただのゴミではなく、装飾品であると判断されたのかと言うと、それぞれのサイズが綺麗に整えられているだけでなく、同じ箇所に恐らくは紐を通すための穴があいており、成形した痕跡が認められたためです。

先人という表現が正しいのか、確かにホモサピエンスの先祖は、現生人類のクラフツマンシップに通じる技術と感性を携えていたのだと、この逸話から感じました。

日本の国立科学博物館にて特別展示と講演会が開催された際のイベントページから、その写真を見ることができます。
(約16年前の展示も何万年というスケールから見るとつい最近に思えて不思議です。)

原始のアクセサリーは、装飾的な目的よりも、動物や魔物から身を守り、豊作や狩猟の成功を願う呪術的なものだったというのが定説で、使われていたものは狩猟によって得た動物の骨、牙、角や、採取した貝殻、翡翠などで、櫛や耳飾り、首飾り、腕輪、足飾りなどが主でした。

指輪は狩猟採集から農耕社会へと移り変わった頃から出現したのではないかと考えられていて、狩猟採集の際に手指に色々付いているのが邪魔であったろうというのが論拠のようです。

このことから指輪は、食料を求めた遊動生活から農耕や牧畜による定住生活へと切り替わったことで、精神的余裕ひいては文化の熟成を象徴するアイテムである、と考えられるわけですね。

歴史を紐解いていくと、アクセサリーの中で貴金属を用いたジュエリーという概念が誕生したことで、権力や財力を象徴する装飾品としての役割が強まってきたように思えます。

武器や工具、農具といった道具を制作するために鍛造(金属を叩いて成形と鍛錬を行うこと)が始まったのが、古代メソポタミアとエジプトにて紀元前4000年頃と言われています。(人類が最初に扱った金属は銅でした。)

古代エジプトではとりわけ装飾文化が発展し、その豪華絢爛さは皆さんもご存じの黄金のツタンカーメンマスクのイメージ通り。

個人的に面白かったのが、当時のエジプトではラピスラズリなどの宝石の代替品として、エジプシャンファイアンス(当時の陶磁器)を廉価版としてビーズなどに成形し、アクセサリーに活用していたという点です。
方向性は違えど、試みが同じということに親近感を覚えました。

ツタンカーメンも生きていた第18王朝の頃、現在ではイギリス紳士の代名詞とも言えるアクセサリー、「シグネットリング」がエジプトにて誕生しました。

これは今まで魔除けや力の誇示といういわば抽象的な感覚の元に使われていた側面とはまた別の、新たなる具体的かつ実用的な存在価値が生まれた瞬間でした。

現在では、結婚指輪として海外のみならず日本でも一般的となった指輪。
これもまた誓いや契約に基づいた装飾品であるとも言えます。

この良い意味での他のアクセサリーと比較した時の異質さ、そして歴史的、文化的意味に惹かれて、松代焼のアクセサリーを指輪で制作をしていくことに決めました。

次回に続く...

今日の一曲

このnoteでアクセサリーやジュエリーを通して人類の歴史に触れる中で、ホモサピエンスのルーツであるアフリカ大陸に想いを馳せていたサクライの頭には、ずっとこの曲が流れていました。

日本の便器メーカーと同じバンド名で、尚且つ行ったことのない場所について想像で曲を作ったというイロモノ感満載の曲ですが、一度聴けばAORサウンドを象徴するような素晴らしい楽曲にイチコロになること間違いなし。

それでは本日は、TOTOの代表曲「Africa」でお別れです。

ではでは。


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