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「2023年9月の珈琲 Costa Rica:高架下の雨宿り」

一人と一匹で眺めた高架の向こうの空に、天気予報が外れたことを知った。

Costa Rica:高架下の雨宿り
今日は一日中雨だとわかっていた
それでもかわらない朝の儀式
ちいさな歩幅に合わせて
誰もいない高架下を行ったり来たり
高架から滴る雫が光を反射して
天気予報が外れたことを知った
甘みと酸味、時々、苦味

天気予報というものは、ときどき、とても悲しい知らせを連れてくる。

たとえば、数日続いた晴れに安心していたら、この日ばかりは、雨よ、降ってくれるなという日に限って、冷たい傘マークが現れ、非情な降水確率が留めを指してくるように。

そして、それは、時折、訪れるこの日ばかりはという日だけでなく、普段の日にもちょっとした憂鬱をもたらすのだ。

明日は、どうやら、朝から雨らしい。

秋の訪れを告げる長雨が、明日から数日は続くと、テレビの画面に映る天気予報士がこまかに説明している。

アシタハアメ。
アシタハアメ。

その呪文は、寝ている間も続いて、朝を迎えた。

そして、やっぱり、今日は雨だった。

それでも、そんなことはお構いなしに、かわいい瞳はわたしを見上げ、いつもの朝の儀式に連れていってと、うれしそうに飛びかかってくる。

雨であろうと変わらない朝の散歩。

ただ、こんな雨の日は、遊歩道をすこしそれて、高架下へといくのだ。

誰もいない朝の高架下では、行き交う車の屋根が弾く雨音が響く。

ちいさな歩幅に合わせて、高架下を行ったり来たりするだけなのに、わたしのそばで、尻尾をピンと立て、ちいさなお尻をふりふりしながら、楽しそうに歩く姿がとても愛おしい。

何往復したかも忘れた頃に、高架から滴る雫に、太陽の光が反射したのが見えた。

愛犬と立ち止まり、高架の向こうの空を眺めると、雨はすっかり止んでいて、天気予報が外れたことを知った。

9月の珈琲「Costa Rica:高架下の雨宿り」を飲んだとき、ふと、愛犬との朝の散歩を思い出した。

もうとうに亡くなってしまったけれど、とても無邪気で愛らしく、いつだって、わたしを受け止めてくれた愛犬。

全力で向けられる甘い愛、一人と一匹で見た太陽の光を反射する雫の爽やかさ、そして、雨の散歩をすこし億劫に感じてしまった苦々しさ。

そのすべてが、「Costa Rica:高架下の雨宿り」に含まれていた。

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