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大雨が秋田に残したものは

【2023年7月15日 秋田豪雨災害】



1.被害の実態

天気予報で、大雨が降ることはみんな知っていた。日ごろから川の近くに住んでいる人たちは、きっと心して対策を取っていただろう。
だけど、誰も思っていなかった。街の中心部が大ダメージを負うくらい、総合病院が受入不可になるくらい、今までにない規模の災害が起きるということを。

秋田市は災害の少ない地域だ。
東日本大震災の時も大きな被害はなかったし、雨や台風だって今までそんなに重大な被害が出たことはない。雪は積もるけれど、豪雪地帯と言われるほどじゃなかった。油断があったのだと今は思う。

今回の豪雨災害。私の自宅は無事だったけれど、両親が暮らす実家が床上浸水した。
川からの水ではなく、排水が溢れて道路が冠水した内水氾濫だった。家の前は、大人の腰の高さまで水が来たそうだ。
どっと水が流れてくるのではなく、じわじわと家に入り込んできた水が、1時間に5cmほど高さを増していくのを、ただ見ていることしかできなかったと母が言っていた。

それでも父は、道路が冠水する前に車を近くの立体駐車場に避難させていた。
また、カーペットやテレビ台、母の琴といった持てる家財は2階に上げ、カーテンは高い位置に裾を縛り、低い位置に収納していた衣類や本は高い場所に移動、ダイニングテーブルの椅子は、学校の掃除の時みたいにひっくり返してテーブルの上に上げたそうだ。

最終的に、床上20cmまで浸水した。
汚水が引いていった後は、泥まみれの床が残された。どうしても動かせなかったソファや食器棚は下半分が泥にまみれ、処分せざるを得なくなった。家電はなんとか無事だったけれど、冷蔵庫や洗濯機を動かしてみたら、下や裏に泥が入り込んでいて掃除に苦労した。

フローリングの板の継ぎ目や壁の隙間、あらゆるところに泥が残っていて、掃除をいくらしてもキリがない。
浸水被害を受けてから4日間雨が降り続き、湿度は高く、床に這いつくばって掃除をしていたら全員汗びっしょりになった。高圧洗浄機や洗剤、大量の雑巾などを差し入れてもらえたのがありがたかった。

父が市役所に問い合わせて、災害ゴミの集積所が17日の15時から開くことが分かった。
妹が友達から軽トラを借りてきて、ダメになった家具をやあらゆるゴミを乗せて2往復し、かなり早い段階で大きなゴミを処分することができた。けれど、町内には高齢者だけの単身世帯が多く、電話回線も一時不通になったため、ゴミが捨てられることを知らない人がたくさんいた。

町内会長の父は、大急ぎで災害ゴミの処理についてのチラシを作り、町内の全戸に配りに行った。同時に安否確認を行い、同じ町内でも無事なところ、床下浸水だったところ、床上まで水が来たところと、かなり被害状況に差があることを把握してきた。

罹災証明は市役所のHPからダウンロードできるようになっていた。「被害届出」と「罹災証明」、さらに父の代理で妹が行ったので「委任状」の3枚が必要だった。
書き方見本もないので自分で書くしかない。市役所はひどく混んでいて、イライラして怒鳴っている人や、他部署から駆り出されたのか間違った案内をして混乱させている職員がいた、と妹が言っていた。みんな疲弊しきっていると。

こんな時でもお腹はすくし、汗をかくからシャワーだって浴びたいしトイレにだって行きたくなる。人間の体は厄介だ。
たくさんの飲み物や食べ物を、母の友人たちが差し入れてくれた。私のお姑さんも、食べ物を用意して持たせてくれた。今後のことを家族で話し合いながら、とにかく食べないと動けないと思って無理やり食べた。

土砂の崩落や冠水で、市内のあちこちの道路が通行止めになり、実家から自宅に帰るまでの道は見たことがないほどの大渋滞だった。普通なら20分ほどで行くのに、2時間近くかかった。
それでも通行止めや渋滞の情報はスマホで見ることができたから、迂回ルートを取ることができたけれど、秋田には高齢者のドライバーもたくさんいる。今回の豪雨災害で痛感したのは、情報を得る手段が限定されていることだった。

2.高齢化率日本一の県なのに

県のHPによると、昨年の時点で秋田県の総人口に占める65歳以上の高齢者は38.8%。
総世帯数に対して、高齢者だけの世帯数は35.5%。一人暮らしの高齢者世帯数は20%となっている。

60代の私の両親は、ネットもスマホも使えるけれど、70代以上になるとほぼ無理だ。
ローカルニュースで災害についての報道をしていたが、「詳しくはホームページへ」と出たテロップに愕然とした。どうやって。

自宅の電話も不通、パソコンもスマホも持っていないし使えない人たちがどれほどいるのか、行政が一番把握しているんじゃないのか。
新聞やテレビ、ラジオしか情報収集の手段がない人がたくさんいる。

ネットは本当に情報が早くて(誤情報もあるかもしれないが)、ツイッターやインスタで流れてくるリアルタイムの情報には随分助けられた。
市内各地の状況だけでなく、災害を経験した他県の人たちも、こういう時はこうしたらいい、こういうことに気をつけて、などとたくさん発信してくれていた。

若い人たちはいち早くいろいろなことを調べて動くことができるけれど、情報弱者の高齢者たちはどんどん取り残されていく。
高齢化率日本一の県だという自覚があるなら、今回のような緊急時に一人でも多くの人が救われるためのネットワークを作ってほしい。

3.こういう時の保険

父は普段からマメすぎるほどマメな人で、何でもきちっと整理して記録しておく人だ。
今回の浸水被害も、タイムラプスのように細かく写真を撮って、どんどん家の周囲が冠水していき、最終的にどのくらい家が被害を受けたのか記録していた。

家や車の保険を全て任せているという、父の友人が3日後に見に来てくれて、車を避難させたことをまず褒められた。そして、細かく記録をつけた父の写真を見て、これだけちゃんと撮っておいて、さらに普段からたっぷり保険をかけていたから、家の方はしっかりお金が下りる、安心していいと言ってくれた。

自動車保険にしても家の保険にしても、やはりこういう時の保険だと痛感した。
自分の家がこんなことになって、ただでさえ精神的なダメージが大きいのに、さらにお金の心配をしないといけないのは辛すぎる。
何かあってからでは遅いし、地震も水害も、もはや日本のどこにいても安全ではない。
当事者になってみて改めて実感することだった。

4.災害は他人事じゃなかった

はじめに書いたように、今まで秋田市はあまり大きな災害を受けずにいた。70年以上住んでいる伯母が「こんなこと初めて」と言っていたくらいだ。
だから、九州や西日本の方でここ数年起きていた豪雨災害も、どこか遠いところで起こっていることのように感じていた。

水害を受けるのは川の近くに住んでいるからだろうと思っていたのに、川からの水と内水氾濫が一緒に起きると、街中であってもこんなことになるんだと初めて知った。そして、今までこういった被害に遭っている地域を他人事と思っていた自分を大いに反省した。

断水や停電がなかっただけ十分恵まれていたと思うが、昨日まで当たり前に暮らしていた家が、泥にまみれて住めなくなるのはショックだった。
家族の思い出が詰まった家具が、買い直すことのできないアルバムの写真がゴミになってしまう。母の落ち込みようが心配でならない。

これから両親が心配しているのは健康被害だ。
一度浸水して泥にまみれた家は、食中毒や感染症の危険性が高くなると繰り返し報道されている。床の張り替えや床下に溜まったままの泥の除去には、一体どれくらい時間がかかるのか見当がつかない。
今はただ、自分たちで除菌を徹底して、少しでも防止できるように努めることしかできない。

今回の豪雨災害は、たくさんの教訓を残していった。
そして、こんな緊急時だからこそ、心配して連絡をくれた友人たちや、迷わず手を貸してくれた親戚、ご近所さんたちに本当に助けられた。
自分がいつ「被災者」になってもおかしくない。そのことは、今や日本のどこに住んでいてもしっかり自覚しておかなければいけないことだと思う。

取り急ぎ、文章にまとめておきたかった。
一日も早く故郷の街に日常が戻ってくることを願っている。