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インド・カルナータカ州のOOTA(ミールス)を食べにいく旅1

2023年6月に旅したインド・カルナータカ州の旅行記です。ぽつぽつと書いていきます。


今回の旅では、まずカルナータカ州北部のフブリ・ダールワールを目指した。

日本を昼に発ち、インド南部の都市バンガロールに到着したのは深夜だった。夜は更け、幾度も降り立ったこの空港の見慣れた風景をみることがないままラウンジで仮眠をとった。

IndiGoの飛行機に乗って早朝に出発し、チェンナイ経由で正午にはフブリに到着した。フブリの空港は地方の小規模な空港だった。飛行機が断続的に到着するため、出口から出る客を待つタクシー運転手は到着に合わせ集まり、散りを繰り返していた。

フブリの空港

空港の出入り口で、ともに旅をするH、バンガロール在住のPと妻のM、その友人のキットゥールに在住するVと合流した。空港で一夜を過ごしていたため、友人と無事合流した安堵から眠気が一気に加速した。
Vの車でキットゥールを目指す。途中、何か食べる?と聞かれて、うんと答えると、甘いのと辛いのどっちがいい?と聞かれて辛いのと答えると、道沿いのショップでVadapaoとMysore Pakを買ってきてくれた。

Vadapaoは四角い形をしたハンバーガーのような形をしている。Pao(パン)にジャガイモが具のVadaを挟んだムンバイのストリートフードだが、ここカルナータカ北部でも手に入った。
Paoの中に細い麺のスナックが散らしてあるため食感がよく、甘くて辛いソースがほどよくあとをひく味だった。もう1つ2つ食べたかった。

ワダパオのワダ

フブリ・ダールワールのまちを抜けると草原が続く、ときに牛や山羊が放牧されている風景が広がっていた。
50分ほどして宿泊先のホテルに着いた。となりにサトウキビ畑が広がる静かな場所だった。

ホテルの隣に広がるサトウキビ畑


小一時間ほど休憩してVの友人Mの家に向かう。

キットゥールのまちに入ると馬に乗った人物の大きな像が鎮座していた。イギリスの植民地化に反対する反乱軍として活躍した女性キットゥール・チェンナンマの像で、まちの象徴となっていた。ここキットゥールも戦地となったらしく砦が築かれている。

Mの家はキットゥールの集落の中にあった。Mは両親と4人の兄弟、弟の妻、妹の夫や子供も一緒に暮らす大家族だった。家の敷地には牛舎があり、牛を飼っていてこの牛の乳からカードやギーをつくっていた。

Mの家

Mが信仰するヒンドゥー教の寺院がみたいとお願いすると、家の周りをみんなで散歩することになった。途中、普通の民家にみえた建物は実はサリー工房で、部屋をいっぱいにするほどサリーを編む機械は大きく、深い飴色をした姿は長い時間の経過を想像させた。

寺院の帰り道、Mにこれからつくる料理はどんな料理かと聞くと
「hundred percent lyngayat food!」
「100%リンガーヤット[1]の料理だ」と答えた。
みんなで訪れた寺院もリンガーヤットが信仰する場所だったらしい。

料理は、Mの姉であるNが準備してくれた。
Potato Bajji 、Shenga chatni podi、Lemon pickle、Kosambari、Coconut chutni、Curd、Chapati、Saaru、Rice、Sandige、パーパルと作り置きしたものも含め、多くの料理を準備してくれた。これらは一度に提供されるわけではなく、食べる順序をもとに並べられる。

まず、Sandigeというナッツからつくるカリカリした食感のスナックとパーパルという薄く切ったポテトを揚げたものが出された。両方とも塩で味付けされている。これらはすぐに食べるというより、スナックの意味合いが強い。Sandigeに関しては、Saaruにかけて食べることもある。

Sandige
パーパル

つぎに、Potato Bajji、Shenga chatni podi、Lemon pickle、Kosambari、ココCoconut chutni、Curdをターリー皿にのせて持ってきてくれた。

中央下Curd、時計回りでKosambari、Lemon pickle、Shenga chatni podi、Potato Bajji、Coconut chutney

Potato Bajjiはポテトをスパイスと炒めた料理で、あまり馴染みのないスパイスの風味があり、聞くとGurelluの使っているとのこと。
Gurelluは、前回食べたootaにも使われていた独特なスパイスである。単体で食べると炒っているため香ばしさが目立つが、粉状にすると異なった風味を感じる。
Shenga chatni podiは、ピーナッツを荒く粉にしスパイスと混ぜた料理でナッツの香ばしさとスパイス感を感じる。
Kosambariは、生の豆と野菜をあえた料理で豆の青臭さとレモンの酸味が効いていた。
Kosambariは単独食べるが、それ以外はChapatiと合わせて食べる料理である。

一通り食べ終わったら、ライスを皿に盛ってSaaruをかける。このときギーが別皿であって好みでかける。Pいわくギーはたくさんかけたほうがおいしいらしい。これらを混ぜて食べる。
Saaruはスパイスで調味した汁気のある料理で、マサラのスパイス感にタマリンドの酸味とジャガリーの甘み、ギーのミルク由来の風味でコクを感じる不思議な味をしていた。
私の中で、タミルやケーララなどの南インド地域の料理とは食材を活かしたシンプルな味付け[2]があると思っていて、そうしたわかりやすいおいしさとは異なったある意味で奇妙な味をしていた。

Saaruをかけたライス

その他、この日の料理について以下のことを教えてもらった。
・当日は新月のためChapatiをつくったが、普段は雑穀のRotiが食べられている。(=新月の日は雑穀のRotiは食べない)
・南インドの食事はバナナリーフに盛られることがあるが、この辺りではターリー皿に盛るのが一般的である。
・Saaruをかけたライスを食べ終わったら、再びライスが盛られCurdと混ぜて食べる。そのためとPotato BajjiなどとChapati、ライスとSaaru、ライスとCurdの3回にわたる食事である。

滞在1日目にして、PとMの献身的な助けによってより解像度の高い視覚から北カルナータカの料理を教えてもらった。

しかし、これまででもっともおなかが多忙な旅になることなど、このときはまだ知るよしもなかった。ひたすら料理を学び食べて満腹のまま料理をつくってまた食べを繰り返す爆食の旅になることを。

続く

脚注
[1]リンガーヤット:カルナータカ州北部に大きな勢力を築くシヴァ派の改革派で、ヴィーラシャイヴァとも呼ばれる。リンガーヤットという名称は、この派の人々がリンガの形のシヴァ神のみを崇拝し、常に小さなリンガを身に帯びていることに由来する。カーストを超えた人々と男女の平等を説き、食事は菜食を守る(辛島2002「リンガーヤット派」『南アジアを知る辞典』平凡社引用参照)。
[2]かといって、これらの地域の料理の味が総じてシンプルと言いたいわけではない。私が知る限りでもチュッティナードの料理のように、スパイスに奥行きがあって重厚感があるものや、酸味と苦味が強く押し出されたタミル料理のVatha Kulambuは素材を活かしたシンプルな料理とは言い難いと思っている。

参考文献
平凡社2002『南アジアを知る辞典』

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