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ブスな私が整形をしないのは

所謂やや太い中肉中背のブスと呼ばれる部類に入る自分。

自分が若い頃、整形したいという子が居た。決してかわいいにはカテゴライズされない彼女はまず目元からと言って居た。

自分が整形した人と知り合いになるのは小学生の時。元々自分と同じ斜視だった彼女は親が細くて吊り上がる我が子の目を手術のついでに治したらしい。彼女と同じ斜視だった自分はへえええとその当時あまり意味なくただ不思議がっていただけだが、彼女に強く「言わないで!!」と釘を刺された。今なら理由もわかるけど、その当時のマヌケな自分はそんなに言ってはならない事??位だった。

思春期に入ると、容姿熱はエスカレートする。
あの子はかわいい!!あの子は美人!あの子はスタイルがいい!枚挙いとまない。自分はデブスとか、まあ気に入らない人からは気持ち悪いと言われる始末で、漫然と自分は気持ち悪い顔なのかと思っていた。

社会人になるとお化粧をするようになるが、興味がないのと手先の不器用さと、土台の悪さに諦め。男性社員は可愛い子がいる部署に足繁く通う人や、ケーキをご馳走したりと忙しそう。

コンパの空席埋めとしていた自分や同じ様に空席埋めの子が居る中、コンパが終わり帰りがけに「今日酷いブスばっかり。金返せだよなぁ」を聞いて参加していた見知らぬ子が泣く。同席していただけにとりあえずティシュを渡す。どうしたものか・・・。

そう言えば、よくブス死ねとか聞くが、それは存在自体がダメなのか。自分の意志で産まれてきた訳でも無いので困ったなぁと思う。言われる側だが、言葉の内容自体にはあまり関心が無くて、どちらかと言うとそれを言う相手の顔の気持ち悪さ(悪意と嘲笑が混じる)が怖いと思うだけ。

泣く子の話を聞く「ブスでいじめられた」「ブスブス言われる」などなど。最後に彼女は言う。

「美人だったら!」

美人だったらブス死ねと言われず、ケーキをご馳走してもらえて、重い荷物も運んで貰える。みんなが優しくしてくれる。と堰を切った様に自分の扱いとの差を言う。

そうか、見た目はそんなに便利アイテムなのか!と思う反面、まるっきり世間全部の人に冷たくされる訳でも無い事は?優しくしてくれる人は何故優しいのか?友達全員がブスシネって言うのか?言わないけどそれはノーカウントなのか?

彼女は続けざまにブスは他人の親切は有り難がり、美人は当然の事の違いを言う。「親切は誰にされても有難いじゃん?美人だと有難く思わないの?」と言うとイライラした目で睨みながら「あんたどっちの味方なのよ!!!」と言う。冷静になって話を聞こうとするが、なにやら怒ってその場を立ち去る彼女を見送る。

その後も似たような事があり、初めに書いたその整形したい子が、350万貯めたから整形するという話をしてきた。○病院は二重が定評だし、▲クリニックは鼻の手術がうまい。いきなり全部すると大変だから、まず目元からなの。最終的には顎の輪郭までやりたいらしい。350万じゃ済まないから、整形しつつアルバイトをしなきゃと言う。

二重はさして大変な手術じゃないけど、顎までくるとかなり大がかりらしい。そうだよね。顎なんて骨だしね。と聞いていると、彼女は言い出した。

「ねえ、確かアルバイト募集していたよね?事務だから外に出ないよね?」

会社でアルバイトの人事権を持っていた自分の話を人づてに聞いたのか。
確かに自分の職場は人が来る事も殆ど無いし、出掛ける事はアルバイトにはさせていない。良いよ、と言う前に疑問が湧いたので聞いた。

何の為に整形するのか?

彼女は自己肯定感を持ちたい、と言う。

今まで自分の顔が嫌いだった。
ブスと言われた。ダイエットしてきれいな洋服を着てもメイクをしても、
結局顔がブスだと全部ダメになる。

このセリフをその後あちこちで聞くとは思わなかったけどね。

「綺麗になりたい気持ちは伝わったけど、ブスって皆言うの?」と問えば「全員には言われない」と返事が来るが、「男性は美人には優しい、チヤホヤするし、同性だって美人には優しい」という。就職だってなんだって美人が有利だという。まず何でも見た目が優先だから、ブスは何をしても美人より劣るのよと口調が段々荒くなってきた。

用心しながら「男性から優しくされたいから整形するの?」と聞けば、それだけじゃないと言う。自分の今の顔では卑屈になったままだから変わりたいという。

多分地雷を踏むのをわかっていたけど、「沢山の男性から優しくされたら整形はしないの?」と更に問えば、「別に沢山の男性から優しくされたい訳じゃないけど、周りに居る人からブス扱いは嫌なだけ」と半分怒りながら言う彼女の顔をみながら地雷を踏む。「じゃあ結局チヤホヤされたいんじゃない?それは自己肯定感とは違うような気がするけど?」と聞く。「そんな事は無い。好きな人に好かれやすくなるし、何より人はまず見た目からでしょ?兎に角自分に自信を持ちたい」と言う。

そろそろお開きにした方がいいと思ったので、とりあえず上に話しておくから履歴書を出してと伝えた。


確かに見た目の差別はあると思う。

自分は考えた。

大きなトンネルが二つあって、見た目とそれ以外のトンネル。見た目トンネルをくぐるとそこを勝ち抜いた美女が山ほどいて、そこから更に勝ち抜かなければ、その界隈ではチヤホヤはされない。

逆に入り口は違ってもその先が同じだった場合を考えると、それならそんなに頑張らなくて良いじゃないかと考える。

チヤホヤされたいとして、何故チヤホヤされたいのか?と聞いた時に彼女はお付き合いしたり結婚したりする相手が増えると言っていたが、整形は外見に関しては自分の遺伝子の否定だから、結婚したとして子供を作る事に抵抗は無いのか?それとも子供にも当然自分に似ている場合には整形をさせるのだろうか?相手に似るか自分似るか判別など付かないまま出産して、ブスだからポイとは出来ない。それとも子供は要らないという相手を探すのだろうか。それとも結婚はしないで、自分の外見を好いてくれる人を絶えず周りにおいて暮らすのだろうか。

そしてその選ばれた相手が絶えず自分の容姿が一番の価値として見てくれるのだろうか。自分が何かの理由で動く事すらできない、はたまた精神が病んでしまっても絶えず自分の容姿が最も重要な価値なら、どんな状況でも自分をそれでも大事に思ってくれる筈・・・とは自分は考えられなかった。

段々付き合えば別の自分の容姿以外を好きになってくれると言うなら、同じように段々自分の容姿に関心が無くなるとは考えないのか。

そして自分の周りには絶えず自分の容姿を褒める人を集めておかないと生きづらくなるのでは無いのか。そしてより美しい人をみてはそれ以上を目指す人生になるのだろうか。

整形した人は突き詰めれないし途中で妥協しますよと言うだろうし、そうやっているのだろうけど、自己肯定感が欲しくてした整形を、途中から妥協できるのであろうか。それと一生顔が変貌し続ける自分に何も思わないのかと勝手に想像してしまう。きっとあの頃はこの顔だったなぁと懐かしく思うものなのかもしれないが、自分が絶えずリセットされたしまう感を勝手に想像して悲しくなる自分は整形には不向きだと思う。

整形に関して言えばしたければすればよいと思うが、その根底にある、
言われがちな「容姿で得る自己肯定感」はどの程度の幸福度を自分に与えて
くれるのか自分はわからないので、この話はここで終る。






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