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【番組評】2022紅白歌合戦の感想

コタツでゴロゴロしながらテレビを眺めていただけの素人の考察ですから、あんまりまじめに議論する気はありませんので、適当に聞き流していただければと思います…

紅白歌合戦はとても好きな番組だ。今年を彩ったアーティストたちが並ぶ豪華なランナップ。なにより、こたつでミカンを頬張りながら、年越しまでのカウントダウンが迫ってくる、あの年の瀬独特の空気が楽しいのだ。

しかし今年の紅白はつまらなかった。少し苛立ちすら感じるほどに。
その理由を、忘れてしまうのも勿体ない気がしたので、つらつらと書き連ねてみようと思う。

番組後のモヤモヤ…”作品”と”演者”へ欠いた敬意

ゆく年くる年を見ながらこのモヤモヤの理由をゆっくり紐解こうと思案した私なりの結論は、「作品と出演者に対する敬意」が無かったこと、ということになった。

何を見せられたのか…

特に今回の紅白で割を食ったのは演歌だろう。
NHKは演歌を何だとおもっているのか。

・水森かおり「九十九里浜〜謎解き紅白スペシャル〜」
・山内惠介「恋する街角〜きつねダンスRemix〜」
・三山ひろし「夢追い人~第6回けん玉世界記録への道~」
演歌のうち、特に文句を言いたいのはこの3曲。
文句のあて先はもちろん歌手ではない。

水森かおりの歌の前に登場して「謎解きをちりばめました」って、まずお前誰やねん、と(それは私が無知なだけなのだろうけど)。歌詞のテロップフォントが変わるくらいならまあ妥協するとして、カメラワークもころころ変わりすぎだし、芸人さんがちょこちょこ映り込む。水森かおりに集中できない。
山内惠介は前のコーナーのキツネダンス(それ自体はいい)を引きずって、曲に変なアレンジがかかっている。
三山ひろしはまたけん玉……。ワイプにしか目がいかないし、曲も聞いているようで聞けていない。というか曲の尺にけん玉が収まってないし。

要は、曲をちゃんと聞かせてくれということ。歌っている姿を見せてほしいということ。ここに尽きる。
謎解きバラエティを見たいわけでも、けん玉ショーを見たいわけでもない。
話題のために変な演出や編曲を加えてしまうのは、ディレクションとして極めて浅はかなのではないだろうか。

不遇のファイターズガール

また、キツネダンスのコーナー自体も変だ。
今年はファイターズガールの振り付けが人気を呼び社会現象になった。だから彼女たちを招待して紅白で踊ってもらう。それ自体は良いと思う。
しかし、どうだろうか。キツネダンスのコーナーが始まって演者が出てきたとき、前列中央に陣取って踊っていたのは乃木坂の子たちだった。
ファイターズガールの彼女たちが話題を作り、年間を通じて頑張ってきて、それによって生まれたコーナーなのに、なんで乃木坂が中央に陣取り、本家の彼女たちがバックダンサーみたいになっているのか。
いやいやいやいや
いくらなんでもファイターズガールに失礼すぎやしないか。わざわざ北海道から来てもらってその仕打ちはあり得ない。
別に乃木坂の好き嫌いの話ではない。一体全体なぜこのコーナーが生まれたのかという背景をすっかり忘れてしまったのだろうか……
ゆく年くる年で新球場で踊っていたメンバーのほうがよく映っていたぞ。

紅白は何をシェアしたのか

今年の紅白のテーマは、「シェア」だった。
SNSの台頭と若者のテレビ離れを意識したテーマなのだろうというのは容易に想像がつく。でも紅白歌合戦というのは、年末に帰省した家族とこたつでミカンを剥きながら、テーブルの上で、要はリアルの世界で「話題をシェア」するための機会なのではないだろうか(もうそんな時代でもないのか?)。そこを忘れてバーチャルの世界の「いいね!」を稼ごうとした編成は、ちょっと焦りすぎというか、方向性を失った感は否めなかった。

紅白の出演者問題

今年の紅白は、誰だか知らない人ばっかり出ていた。
「紅白に出るような歌手すら知らない」のか「知らない歌手が紅白に出ている」という問題はずっと抱えてきたし、数年前まではどちらかというと前者、要は紅白に出るような歌手くらい教養として知っておいても損はないだろうという価値観があったと思うのだが、今年はもう後者だったと思う。
人種差別や国籍差別をする気はないが韓国で人気だからと言って日本で浸透しているとは限らないし、サブスク配信サイトや動画投稿サイト上での再生回数が人気を表すバロメーターかというと、そうとは限らない(そりゃ好きな人が何回も聞くからね)。特定の世代、特定のアプリのユーザーしか分からないような人たちが登場しても、話題のシェアはできないのではないか。
ちょっとNHKの肩を持つならば、CDが売れなくなった時代に演者選考をするのは確かに大変だろうなぁとは思うけど。
でも、演者選考、誰の機嫌を見てやってるんだろうなあ、というモヤモヤは毎年大きくなっている気がします……。

紅白の「テーマ」問題

「シェア」とか「カラフル(去年)」とか、毎年出てくるテーマは、副題・サブタイトルに過ぎない。どこまでいっても、紅白歌合戦の首題は「歌合戦」ではないだろうか。というのが私の考えなんだけど。特定のアイドルグループが何度も何度もバックダンサーで出てきたり、芸人さんが乱入してきたり、メインディッシュはそれぞれの出演者と、歌だよ。と思うのよね。
ちょっと味付けが濃すぎて、素材の味が行方不明じゃないの?

”紅白の威厳”

紅白出場歌手、というのは、その歌手に箔をつけるようなところがあると思っていた。チラチラ映るスタッフはみんなスーツだし、そこはやっぱり年末の伝統ある番組としての威厳というか格のようなものも感じられた。でもなんかちょっと違うんだよな、と思うことが2つある。

衣装とドレスコード問題

衣装はその時代を映す姿として、変化していくこと自体は否定しない。
けど、パーカーのフード被って歌うってどうよ。屋内では脱帽、人とあいさつするときは脱帽、と習った私(その世代の演者と歳変わらないよそんなに)は、ちょっと違和感を持ってしまった。日本はドレスコードの概念があんまりないけど、そこはエチケットとしてちょっと違うんじゃない?
私だったら襟付きのシャツとか探してしまいそうなもんだけど、パーカーとかスウェットであることは百歩譲るとして、フードは取れよ、それはオシャレとは違うぞ。と。(カメラマンもディレクターもみんなスーツだぞ?)
これは私が古いのだろうか……?

完全CG出演はありなのか。

ウタの「新時代」の出演はちょっともやっとした。論点が2軸あって、まずなぜ架空のキャラが出てくるのか。曲間のイベントコーナーならいいけど、れっきとした1出演者にラインナップされている。存在しない人なのに。
いや、Adoが歌うというならAdo名義で出ればいいではないか?というモヤモヤ。まあこの際、どんな名義だってかまわない。
2つ目の論点は「完全CG」であることの是非だ。難しいのはAdoが顔を出さずに活動されている方なのでほかの歌手と同じようにというのも難しいのだろう。でも、これだと、本当に歌ってるの?裏でCD流してるだけじゃないの????と思ってしまって仕方がない。
曲合戦じゃなくて歌合戦なんだから、歌ってほしいのだ。生で。
なんか、幕の後ろで歌ってシルエットだけ見えるとか、後ろ姿だけ映るとか、そんなんじゃダメかねぇ。

"生"感を失った紅白

この辺は文句というより個人的な思いだが、やっぱり紅白歌合戦は生放送であることが醍醐味なんだと思う。それは口パクやCDじゃない「歌唱」の勝負—―。そこにつながるんだと思う。
それにしても今年はちょっと収録モノが多かったんじゃないかしら。歌唱そのものが丸っと収録だったところもあるし(別に曲間のイベントはそれでもいいけど)、人物紹介?みたいなインサートも多くて。ぶつぶつ作りこまれた映像が挟まると、はて生放送だよね?という臨場感に欠けてしまって、コレジャナイ感はやっぱりある。

結局…

結局のところ、放送時間が長すぎるんじゃないだろうか。
19時台から23時台まで4時間近くもあると、番組を「持たせよう」としてしている感が否めない。紅白は「歌合戦」であって、「バラエティ番組」じゃないという基本(というか個人的ポリシー)に立ち返ると、歌唱に対してそれ以外の時間の割合が大きい気がする。シンプル・イズ・ベストで、歌で楽しませて欲しいなぁ。

毎年ブツブツ文句を言いながら、結局全部見てしまうので、今年も見るんだろうな。紅白。

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