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利己的な人と利他的な人について

これは、今年になって色々と考えていた時に思いついた、人と人との関係をシンプルに分かり易くする考え方です。

人は誰でも利己的だったり利他的な面があったりするものだと思いますが、往々にしてどちらかが強く出てるものだと思います。

社会的に見ればどちらかと言えば【利己的】な人は「わがまま」「協調性が無い」「自分勝手」等ちょっと悪いイメージ。
逆に【利他的】な人は「謙虚」「周りを見る事が出来る」「協調性が高い」等どちらかと言えば“良い人”と思われる事が多いと思うのですが、今回はそれぞれの組み合わせの夫婦(ペア)で、どの様な人間関係になって行くのかを考察して行きます。

【利己主義】=【利己的な人】
利己主義は、自己の利益を重視し、他者の利益を軽視、無視する考え方。それにより、他者が不利益や損害を被ることも少なくない。

【利他主義】=【利他的な人】
利他主義とは、自己の利益よりも、他者の利益を優先する考え方。常に相手の立場に立ち考え行動するので自己の不利益や損害を顧みず他者を優先してしまう傾向がある。

物凄くざっくりとした考え方ですが、【利己的な人】を【利己】、【利他的な人】を【利他】として3パターン+αと言う事で、お話を進めさせて頂きます。

【利己】と【利己】のペアの場合

お互いが常にそれぞれ自分自身の事しか考えられないので、どうしても衝突する事が多い。解決する為にはコミュニケーション(ケンカ)と妥協がお互いに必要。

その結果お互いに適度な所で妥協し合い、それでバランスが取れている様ならそれなりに良い形で関係は続くのだと思います。

そしてそれを見て育つ子供は、自分の意思をはっきりと伝える事を学び、自分の意見がはっきりと言える人に育つと思います。

※ここから+αのお話になりますが【利己】の人の中に稀に【超利己】な人がいます。その【超利己】の人ならどうなるのかのパターンです。

【利己】と【超利己】の人の関係だと、【超利己】の人は何があっても妥協することが無く、何があっても自分の意見を通してしまうので、それに対する【利己】の人はそれに耐えられないどころか耐える意味がわからないので、かなり早い段階で2人の関係は破綻すると思います。

これ良くTwitterで見かける「結婚する前にそう言う人だと分からなかったのか」問題にも関係する様な気がしますが、「利己的」な人は基本的に自己肯定感が高い傾向にあります。なので自分の感じた“違和感”を無かった事にしたりする事無く、徹底的に追求します。
逆に「利他的」な人は「利己的」な人に比べ自己肯定感が低い傾向にあります。なのでその時に感じた“違和感”を無かった事にしがちです。
もしかしたら“その差”なのかも知れないし、それを言ってくる人が無神経で自他境界の曖昧な人なのか、どちらかなのかも知れませんね。


【利他】と【利他】のペアの場合

お互いがそれぞれに相手の事を1番に考え合う2人なので何事も平和で穏やかな生活が続いて行くのだと思われます。

何かトラブルがあっても2人が足りない所をフォローし合い、時には影で支えたり、2人で解決方法を模索していくのだと思います。多分人と人との関係で、1番理想的な関係なのかも知れません。

そんな環境で育つ子供は愛に満ち溢れた環境で育ち、利他的でとても優しい人間になるのだと思います。

一見何の問題も無く、1番理想的な関係には間違い無いのだと思いますが、実は「落し穴」があるんです。
利他的で常に相手の立場に立って物事を考える人は、「良い人」で、人間は基本的に「良い人」で、どちらかと言えば性善説の様に考える人が多い印象を受けます。
特に性善説を否定する訳では有りませんが、この世の中には「純粋な悪意」が存在します。
しかし、利他的で優しく、悪い人間などいないと言う基本的な思考を持つ両親の元に育つ子供は本当に純粋で、人を疑う事を知らず、人の為に尽くし、人を信じ、どんな人でも許せる優しい人間に成長してしまっているとしたら、それは「被害者体質」と言ってモラハラ加害者(NPD)の特性を持つ人間に狙わられ易い特徴を持ってしまったのと同じ事になります。
なので、自分の両親が「尊敬出来るとても優しくて利他的で他者からも慕われる両親」と思える方は、それに備える意味でも知識を身につけて、そう言う人間に関わらない生き方をして行くようにした方が良いのかもしれません。 


【利己】と【利他】のペアの場合

今までの2パターンと比べて一見するとバランスが良い様な気もするのですが、『利己】の人がどの程度なのかでかなり状況が変わって来ます。

見方を変えると“尽くして欲しい”人と“尽くしたい”人なので、当初は当人達も理想的だと思い合えるのかも知れません。

【利己】の人が筋が通っていて、それなりにバランスが取れ、最低限度の相手の気持ちを持てる人で【利他】の人の声もしっかりと聞き入れコミュニケーションがお互いに取れる様ならば、それなりに良い関係が続いて行くのだと思います。

その様な家庭で育つ子供は、【利己】の人だが筋が通っており、やるべき事をやる親と、それを認めた上で【利他】であり続ける事が出来る【利他】の親を見て育つのでで、子供はその【利己】と【利他】のバランスや、主張すべきものは主張し、お互いを思いやる事の大切さを理解出来る人に育つのかも知れません。

またまた+αの【超利己】の出番ですが、【超利己】と【利他】の場合だと、かなり状況は変わって来ます。

【超利己】の人は元々潜在的にそう言う要素を持っていて、初めから【超利己】と言う訳では無く、普通の【利己】の様な状態なので、最初は普通の【利己】と【利他】の関係の様にそれなりにバランスが取れている様に感じますが、何かをきっかけに【利己】のリミッターが解除され【超利己】の人になってしまいます。

【超利己】の人は文字通り【超】なので、何もかも【利己】として求めるものの基準が変わります。普通の【利他】の人が許容出来る範囲で収まっていれば良いのですが、その要求は軽くその範囲を超えて行きます。
ただ、一度に大きく超えてくる訳では無いので【利他】の人も元々の自己犠牲の精神でなんとかそのじわじわと高くなるハードルを超えてしまうのです。

そのハードルは超えても超えても低くなる事の無いハードルです。何故なら、【超利己】の人の要求は特殊な要求なので、それを求める「欲」に底が無いのです。

幾ら【利他】の人でも限界があります。その限界を超えてしまうと心に影響が出て来ます。それは「適応障害」であったり「PTSD」であったり、「鬱」になってしまったりすると言う形で表面化してしまう可能性が高くなります。

この様な環境は、ある意味普通では無く、特殊な環境なので、こう言う環境で育つ子供はその人格形成に大きな影響を受ける可能性が高くなると思います。
子供に対しても【超利己】は影響を与えます。その【超利己】対し迎合(自分の考えをまげても、他人の意に従って気に入られるようにすること)して育つのと、その【超利己】に対し反抗して育つのとは大きな違いが結果として出てしまうのだと思います。

【超利己】と言う存在について

普通の【利己】と【超利己】との違いは、そのパートナーがその利己具合に理不尽さを感じているかどうかだと思います。

常識的に許容される【利己】だとそのパートナーも理不尽さを感じる事は無いはずですが、逆にそこを著しく逸脱してしまうとパートナーは“理不尽さ”しか感じません。

「大切なはずのパートナーに“理不尽さ”を押し付け続ける人」

それこそがここで説明している【超利己】の姿です。

これに関しての原因は様々な可能性を考え、調べたのですが、『二次性ナルシシズム』としか考え難いと言う結論に達しました。

https://note.com/_ego/n/n1a1b4c0e6213

人それぞれ様々な意見があると思いますが、皆さんはどう考えますか?


【超利己】の逆、【超利他】はあるのか?

これに関しては個人的には“ある”と思います。その【超利他】の人はどんな人なのでしょうか。

僕が思うには、「ここまでは許せる」と言うラインが普通はあるのだと思いますが、そのラインが無くなってしまっている人だと思います。

その【超利他】には2パターンあって、
1つ目は、
自分の不幸は全てを加害者のせいだと、加害者を頭の中やSNSでは責め、ボロクソに言いつつも「子供が」とか「仕事が」とか必ず何かしらの言い訳をしつつも、その、環境から抜け出す為の行動は一切起こさないタイプの人。一見【利他】では無さそうだが、“ボロクソ”に言わなければ気が済まない環境にいながらも【超利己】の“奴隷”の様な環境にそれなりに順応して行っている人。(当時の自分がこうでした)
基本的に言葉では【超利己】を否定しながらも、【超利己】に良い様に利用されていてる所が【超利他】だと思います。
ただ、この様な状況になってる男性に多く見られますがTwitterで「死ぬしか無い」発言をしがちだったりします。

ちなみにこう言う状況は「誰か」のせいにしていても、また別の「誰か」が助けてくれたりは残念ながらしません。

「誰か」が勝手に助けてくれたりするものでは無く、残酷な話ですが、「自分」で「自分自身」を助けるしか無いのだと思います。

2つ目は、
かなり危険な状況だと思いますが、「ここまで許せる」と言うラインが【超利己】の恐怖支配によって完全に分からなくなっているパターン。ある意味「洗脳」されている様な状態で、極端な話本人の意思とは関係無く犯罪に加担させられていたりする状態で、大変危険な状態だと思います。

【超利他】とは、元々そう言う要素を持っていた【超利他】に対し【超利己】が恐怖を利用しその許容範囲をぐいぐいと広げる事によって「許容」と言う言葉の意味を「従う」と言う意味に上書きされてしまった状態なんだと思います。

ただ、その感覚が自覚出来る状態ならば先々何とかなる道も開ける可能性はあるのだと思いますが、「自分が超利他で危険な状態なんだ」と自覚出来なくなってしまう事が一番恐ろしい事だと思います。

そうなる前に友人や家族等、信頼出来て肯定して話を聞いてくれる人に相談する事をお勧めします。


【利己】と【利他】と言う考え方

今回は【利己】と【利他】と言うシンプルなテーマで話を進めましたが、「モラハラ加害者(NPD)」を行き過ぎる「利己」と、「モラハラ加害者(NPD)」を耐え過ぎて逆に「利己」にただ利用されてしまう「利他」にそれぞれ例え、少しシンプルに考えられる様にしてみました。

途中で触れていた“自己肯定感”の関係で、モラハラの被害者はどちらかと言えば【利他】の人が多いのだと思います。

初めにも書きましたが【利他的】な人は、「謙虚」「周りを見る事が出来る」「協調性が高い」等、普通に考えれば社会的に成熟した人間だと思います。

その社会的に成熟した人間を今の時代、自らの“奴隷”の様にさせようと“無意識”で考えてしまう【超利己】の様な人間をそのままにしておいて良いはずがありません。

ただ、現在の日本の社会的なシステムでは、【超利己】を何らかの形で処罰したり拘束したりする事は出来ません。
そう言う人達が、一線を越えて“犯罪”を犯せば別ですが、それをしない限りは野放しです。

ではどうすれば良いのかを考えると、「自分で自分自身を守る」しか有りません。

「【超利己】だったなんて最初からわかるはずないだろ!」なんて呑気な事を言ってても何も始まらないし、「うちの【超利己】マジ謎なんだけど?」なんて悠長な事を言っている場合では無いと思います。

【超利己】の様な、自分の利益の事以外には考えられず、他者を踏み潰しながら生きている様な「“悪意”の存在がいる」と言う事を知り、それに関わる知識を身につけ、見極める術を学び、またそれを自分の大切な人達に伝えて行く、一人ひとりの誠意ある人達がそう言う行動をして行く事で、この世界はもっと住み良い場所に変わって行くのだと思います。

またまた好きな本の一節ですが、

この本から僕は学びましたが、「分かる訳が無い」「訳がわからない」とそれを指摘する人を攻撃したり、知る事を放棄するのでは無く、【知る努力】をする事が私達の義務なんでは無いでしょうか。

僕もまだまだ学んでいる途中ですが、これを読んで頂いた皆様が、正しい知識を身につけ、自分と自分の大切な人をしっかりと守り、そして当たり前にある幸せを感じられる日々を過ごせる様になる事を願っています。

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