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モラハラはコントロール出来るのか?(再構築への可能性は?)

久々のnote更新になりますが今回は最近その界隈のTwitterを見ていて僕が個人的に思う事を書かせて頂きます。
内容的には僕の個人的な印象なのでその辺りを踏まえた上でお読み頂ければ幸いです。

モラハラスイッチ(脱価値化)への理解

以前のnoteで書かせて頂きましたが

上のリンクの記事の中にある“二極思考(白黒思考・分裂・スプリッティング)を取り上げ、そこで“考え方”と書いてありましたが、正しくは「防衛機制」と言って自分自身を守る為の無意識的な心理的メカニズムなのだそうです。(スプリッティングはその中の一つ)

そのスプリッティングの結果「脱価値化」された事をきっかけにモラハラがスタートするのだと思います。(詳しくはリンクを参考にして下さい)

ただ、自分の体験や様々な被害者の方のお話しを聞いたり、Twitterで被害者の方の状況から鑑みると「脱価値化」にも段階があるのではと考えました。

その考え方を元にその「脱価値化」の段階を「モラハラステージ」としてそのステージ毎にどうする事が最適解なのかを考えてみたいと思います。その際にこのnoteのタイトルにもさせて頂いた
「モラハラはコントロール出来るのか」
というテーマも同時に考えて行きたいと思います。

モラハラステージ【1】

この時点では「脱価値化」は本格的にスタートしてる訳では無いのですが、この時点で
「モラハラだ!」と気付く人はそこまでいないのではと言う段階で、NPDの加害者からすると「脱価値化」の前の「理想化」の段階です。

「理想化」

対象をすべて良いものと捉えられたときには、原始的理想化(primitive idealization)が発生する。これは対象をスプリッティングし、一方を過度に誇大視して「理想化」することである。分裂されたもう一方は「脱価値化」を伴う。「高次の理想化」は、対象の悪い部分を見ないようにすることで自分の攻撃性を否認し、それに伴う罪悪感を取り去るのに対し、「原始的理想化」は、対象の悪い部分に破壊されないようにその部分を認識しないようにする。
Wikipediaより引用

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%86%E6%83%B3%E5%8C%96%E3%81%A8%E8%84%B1%E4%BE%A1%E5%80%A4%E5%8C%96

加害者から見た被害者はこの時点では「理想化」された存在なので俗に言う「あばたもエクボ」の様な心理状態なので直接的な被害はまだ無い状態だと思います。

ただ、この時点で既に「モラハラの芽」は少しずつ芽吹いている事が考えられます。

NPDの人間は「常に自分が優位で無ければならない」と言う闇をその無意識に抱えています。
その“無意識”だけは隠し通す事が出来ません。被害者をまだ攻撃対象(脱価値化)だと認識していない状態でもついついその片鱗が見え隠れしてしまいます。

【ブラックジョーク】
基本的にNPDの人間の笑いのツボはブラックです。それも基本的には他者を馬鹿にして蔑(おとし)める事で笑いを取ろうとします。自虐ネタは好みません。
自虐ネタは好まないどころが他人の笑いのネタに自分がされると信じられないほどに怒りを露わにします。
※自分は他者に対して何をしても許されるのに、その逆は絶対に許さない。NPDの特性です。

その“他者を馬鹿にして蔑(おとし)める”を自分の大切なはずのパートナーでも平気でしてしまいます。

まだ交際当初でNPD特有の「情熱的で短期間で燃え上がる恋」の渦中にいたとしても流石に最初にその自分をバカにしたネタを振られたら一瞬「え?」と怒りの感情が芽生えるのですが、そこをすかさずNPDが“ラブラブオーラ”を前回に
「冗談に決まってるでしょ♡」
とフォローを入れて来ます。そのフォローについつい
「なんだぁ〜冗談きついわ〜♡」
と先々自分を地獄に落とし入れる未来を知る由もない被害者はそれを流してしまうのです。

この一連の流れがNPDの人間がターゲットを自分の意のままに支配出来る奴隷にするための第一歩「ジャブ」になります。

いわゆる世間ではソフトモラハラと呼ばれている緩やかなモラハラ行為を少しずつ、このような「ジャブ」で積み重ねターゲットに耐性をつけさせて行きます。

この期間はNPDはターゲットを理想化しているのでターゲットに対して過剰なサービスをして来ます。
この期間が後に「あの頃はあんなに優しかったのに」と言う被害者の勘違いを脳裏にやきつける結果になります。

* * *

【モラハラステージ1対策】
この期間に事前にNPDやナルシシズムの知識も無く見抜く事はほぼ不可能だと思います。
逆に被害者体質では無くて自己肯定感の高めの人ならば“程度の低いブラックジョーク”の時点でキレて別れを選択する可能性も考えられますが、人が良くて利他的で愛に飢え気味だったりする被害者体質の人には難しいと思います。

自覚する事とても難しい段階ですが、もし自覚出来たとしてこの段階で出来る事はNPDやナルシシズムについて学び、知識を得る事だと思います。

この時点でのパートナーはモラハラ加害者予備軍になる訳ですから、知識を得る事によってこれから先に起こるであろう事態に備える事が出来ると思います。

ちなみに一度でもモラハラの被害に遭ってしまった方は元々被害者になり易い特性(狙われ易い)を持っています。

その両方を知る事無くまたNPDの毒牙にかかっている事にも気付かずにお花畑の様な恋愛にどっぷり浸かり、気がつけばまた同じ地獄のループになるよりは、きちんと学びそう言う事がない様に、またそれらを知る事によって友人や知人、または我が子がそう言う被害者にならない様に知識や情報を共有する事が大切だと思います。


モラハラステージ【2】

ここが「脱価値化」が始まりだと思って下さい。

「脱価値化」

対象をすべて悪いものと捉えられたときには脱価値化(devaluation)が起こる。理想化していた万能的期待が満たされない時に、直ちに価値のないものとして過小評価すること。価値を下げる意味としては、期待に応えない相手に対しての報復という目的と、怒りを向けた相手が後に自分を脅かすであろうと予測されるので、予想される相手のその能力を弱める意味がある。
Wikipediaより引用

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%86%E6%83%B3%E5%8C%96%E3%81%A8%E8%84%B1%E4%BE%A1%E5%80%A4%E5%8C%96

経験上、「脱価値化」の初期は「脱価値化」と「理想化」の間で揺れ動いています。

単純にその揺れ動いている理由は
“理想化していた万能的期待”
にあると思います。

その“万能的期待(何もかも思い通りになる)”が満たされているかいないかでモラハラのスイッチが切り替わります。

その“何もかも”がこの段階だと不安定で、同じシチュエーションだとしても万能的期待度が高くなればスイッチオン、万能的期待度が高く無ければ優しいまま。

この状況も被害者を迷わせてしまう致命的な事柄の1つだと思います。同じ状況で反応が極端に違うので被害者側からすると何が正しくて何が間違っているのか、自分が正しいのか正しくないのか、と言うのような何が何だかわからない状況に陥ってしまいます。

NPDの人間は家庭の中だけで無く、外でも常に万能的期待を求めています。

ただ、NPDの人間は「ターゲット以外にはとても良い人」を貫き通すので、その外で応えて貰えない万能的期待に対する怒りを家に持って帰るのです。

普通の人間は本来、「万能的期待」なんて持っていないのでたとえストレスがあったとしてもほどほどのストレスなので割とそれなりに解消できたりします。
ところがNPDの人間は「万能的期待」を常に望むので当然そんなことが応えられるわけもないので普通の人間よりも過剰にストレスを抱えてしまいます。それが彼(彼女)等の怒りの根幹だと思います。
(自分は特別な人間なので何もかも自分の思い通りになる事が“当たり前”なのにそうならないと言う事に対する怒り)

「ハネムーン期」の正体
ただ、この時点では完璧に脱価値化している訳では無いので加害者の都合により怒りをぶつけて来たり、甘えて来たりとかなり不安定で被害者が少しづつ以前のパートナーとは違って来ている事に気付き始めるステージだと思います。

俗に言う「ハネムーン期」と言われる状況がある期間がこのステージに当たるのだと思いますが「怒り(脱価値化)状態」と「優しい(理想化)状態」との振り幅は多分個人差が大きい様な気がします。

自分のケースで考えてみると理想化状態の時(ハネムーン期)は
・何もかもが加害者側の思い通りになっている時
・臨時で大きい金額の臨時収入があった時
・お金を用立てて欲しい時
・多くの人に褒められた時
・何か加害者側に自信が持てるきっかけがあった時
と今冷静になって考えればNPDの人間の鏡の様な元妻でした。

逆に脱価値化状態の時(モラハラ期)は
・思い通りにいかない事がある時
・お金に困った時
・自分(加害者)がめんどくさい時
・人がゆったりと休んでいる時
・ターゲットが他人から褒められた時
みたいな感じです。最後の“被害者が他人から褒められた時”は仕事の関係上クライアントからどうしても社交辞令で褒められる事が多く、元妻はそのシーンを間近で見る機会が多かったのでその度に「調子に乗ってる」とキレられていました。

その理由も理解出来ない被害者の心理としては、感じ始める理不尽への怒りとともに
「自分が悪いのかな?」
「どこを直せばいいんだろう?」
と言う思考のループにハマりがちです。

* * *

【モラハラステージ2対策】
多分モラハラ加害者を何とかコントロール出来るのはここまでだと思います。

コントロール出来ると言っても様々な条件がある程度整っていないと難しいと思いますし、仮に条件が揃っていないのにそれをする事は子供がまだいない時なら出来なくも無いですが、子供がいる環境下では子供への影響がとても心配なのでお勧めはしません。

NPD(モラハラ加害者)をコントロールする上で一番重要な条件として

「被害者自身がどれだけ自立(精神的にも経済的にも)出来ているか」

が重要になって来ます。

基本的にNPDの人間は自分と他人の境界線がありません。

境界線については詳しくはこちらのリンクを参考にして下さい。


NPDの人間は想像を絶するほどの依存体質です。思考の根源が「欲」で満たされていて自ら何か努力したりする事無くとにかく“怠惰”でいたいと考えています。
要するに楽していい思いだけして生きて行きたい人間です。
そう考える人間が「境界線が無い」と言う事は、彼(彼女)等は被害者自身も「楽していい思いだけして生きて行きたいと考えていて当然だ」と当然考えています。

なので彼(彼女)等は自分が依存しようとしてるターゲットが依存してくれる状況を無意識に望んでいて少しでも依存傾向があれば「そっちも依存してるよね?」の一言で全てを正当化しようとしているし、そうしてくれた方が都合がいいのです。

多分彼(彼女)等は自分が依存する依存度と被害者が依存している依存度のバランスを巧みに利用しているのだと思います。
被害者の依存度が高ければ高いほど自分が依存してしても構わないと言う無意識の思考だと思います。ただ、依存度の割合は絶対に対等では無く、NPDの方が明らかに高いのだと思います。

そこでNPDは被害者の依存度が高ければ高いほど自分はやりたい放題出来て、なおかつどれだけ被害者を搾取したとしても逃げられる心配が無いと思い込んでいるし、実際依存度が高い被害者は「共依存」の様な状態になってしまうので、NPDの人間といる事はデメリットしか無いと言う現実が見えなくなってしまい絶対に別れようとはしません。

いや、別れようとはしてるんだと思います。でも
「思い知らせるまでは…」
「痛い目を見せるまでは…」
「慰謝料を目一杯払わせるまでは…」
と言う様な実際は余り現実的では無いケジメを無理矢理作ってしまい嫌いで嫌いで顔を見るだけでも気分が悪くなるにも関わらず、無意識の内に離れられなくなるのだと思います。

完全にNPDの人間の思う壺です。

逆に全く自分に依存しない被害者だとしたらNPDはどうでしょう?

NPDの人間が一番面白くない状況です。
「お前もどうせそうなんだ」と言う自分を正当化する為の境界線の不全な認知の歪みきった思考が通用しなくなる時です。

ただ、この「自立(依存しない)」と言うのが曲者でNPDによるモラハラならば、進めば進むほどに「自立」への道が閉ざされている事が考えられます。

主に2つの角度から「自立」への道を閉ざす様に誘導されている可能性が考えられます。
(この誘導を“無意識”の内にやってしまう所がNPDの恐ろしさだと思います。)

例えば女性被害者だとしたら「就職はせずに専業主婦でいろ」と言うのが分かり易い例ですね。後は被害者の性別は問いませんが、実家と関わるのを嫌ったり友達と会うのも嫌ったりして被害者が自分以外の人と関わる事を異常に嫌い孤立させようとして来ます。

これは「被害者の孤立」が目的では無く
「依存先は自分(NPD)しかいないんだぞ」
と被害者に思い込ませるのが目的なんだと思います。

もう一つが「お金」です。
これは経済的DVと言えば理解し易いと思いますが、ほとんどのケースでモラハラとセットになっているのではと個人的に考えている事です。

特殊なケースを除いては「人」と「お金」この2つがどう言う状況かでモラハラがコントロール出来る可能性が出て来ると思います。

モラハラをコントロールする為の「鍵」

その「鍵」はNPDの持つ特性の一つ、「神経症的競争」です。

「神経症的競争」とは本来ならば競う必要の無い事柄でも、本来ならば競う必要の無い相手でさえも競わずにはいられない、おまけにその競争に死んでも負ける訳にはいかないと言う普通の感覚からすると理解の出来ない心理です。

絶対に何がなんでも負ける訳には行かない、勝負せずにはいられない「神経症的競争」だとしても彼(彼女)等が絶対に勝負しない状況があります。

「勝てない勝負はしない」

まだ完璧な「脱価値化」の完了していない段階だと、加害者はまだターゲットに対して「万能的期待を叶えてくれる」と言う期待(理想化)を持っている段階でそう言う状況をどれだけ作り出せるのか、それがモラハラをコントロールする為の「鍵」になると思います。

前置きが長くなりましたが、「人」と「お金」の両方の面でどれだけ加害者が「圧倒的に不利だ」と認識させるかが主な手段になります。

1つ目の鍵「お金」

最初に「お金」についてになりますがこれは2つの条件の中でもモラハラ加害者との主導権を握るには必要な事になります。具体的な手段は2通りの方法があるのですがある程度「脱価値化」が進んでしまうと最初に説明する方法は難しいと思います。

一つ目は、この「理想化」と「脱価値化」の揺れ動くタイミングを利用して家計の主導権を握る様に待ち込むのです。
基本的にモラハラ加害者は家計の主導権を握りたがります。文句も言われたく無いし自分が好きな時に好きな様に使いたいと言う「無意識の欲求」があるからです。

この場合の前提として「専業主婦」ではかなり難しいと思います。例え家事や育児をワンオペでしていたとしても収入の原資が100%加害者なら加害者サイドから見ればあなたは経済的に100%依存している人です。

普通の男性にとっては主婦の大変さは充分に理解出来るので理解や協力も得られるでしょうが、NPDの男性にとっては「家事をしてる」や「育児をしている」はただの言い訳です。
そう言う状況で握られていた家計の主導権を握り返すのは至難の技だと思います。

専業主婦の場合に可能性があるパターンは実家がどちらかと言えば裕福(相手方との差があればあるほどにより効果的)な場合だと思います。
基本的にNPDの人間は欲深いので自分の欲が満たされる事がその特性上最も重要な事です。
そしてその「欲」を満たしてくれるものの一つが「お金」、その「お金」が“自分が稼がなくてももっともっと使えるかも”と言う期待を上手く誘導する方法です。
相手に万能的期待を叶えてくれると言う要素が有れば不安定な期間ならばまだまだ理想化状態が安定する可能性はあります。

専業主婦では無い女性被害者の場合に理想的な状況は、妻側の収入がある事で今の生活(加害者もやりたい事が充分に出来る)が成り立っている様な状況だと交渉が進め易いと思います。

男性被害者の場合、経済的DVの基準は日常の生活に必要最低限の経費(衣・食)がコントロールされていない事が前提だと思いますが、正直なところ男性被害者が家計の主導権を握るのは難しいと思います。

なので男性被害者の場合は主導権を無理に握るのでは無く、加害者を上手く持ち上げる様に管理(家計簿や記録等)をさせて貰う様に持って行ってみて下さい。

とりあえず「自分(加害者)が使えるお金が増える」と言う感覚を持たせてお金の流れを明確になるのが“当たり前”と言う感覚を根付かせる事が出来れば経済的DVには発展し難くなると思います。

出来るならば家計の管理を自身でする事が理想ですが、あくまでも“誰が浪費家なのか”を明確にしておく事が出来れば良いと思います。

基本的にNPDの人間は「面倒くさい事」に対して拒否反応を示します。お金に関してターゲットに何か言うと「面倒くさいから任せておこう」と思われる状況を作り出しておく事が理想的です。

2つ目の鍵「人間関係」

人間関係に関しては、出来れば強い繋がりの友人や家族や親戚や職場の人等を出来るだけ関係を加害者から切られない様に気をつけて下さい。

この時点ですでに孤立してる状況ならコントロールは難しいと思います。

人間関係に関しても「お金」と同じで加害者に「面倒くさい」と思わせる事が大切です。

何かあれば家まで乗り込んで来て味方になってくれる人がいれば理想的で、変な言い方かも知れませんが加害者から見て
「この人の背後には強力な支援者がいる」
と思わせる事が大切だと思います。

先程も触れましたがNPDの人間はターゲットを 支配する為に孤立させる様に持っていきます。
とても恐ろしい事ですが、彼(彼女)等はそれを意識してやっている訳では無く全くの「無意識」でやっていると言う事です。

なので基本的にアウェイな状況を極端に嫌ったり可能な限り避ける傾向があります。
そこをまだ被害者が理想化されている時があるタイミングで利用し、そのアウェイな状況にも参加しなければならない状況を作り上げるのです。

コントロール可能かの判断

一応「お金」と「人間関係」でNPDの人間をコントロール出来たとしても、それがいつまでも続くとは限らないと思います。

よほど被害者の方が極端に優位な状況(例えばどこかの国のお姫様とただの詐欺師の組み合わせの様な)ならばそれなりな関係は続けられるかもしれませんが、普通の人間にあの底無しの欲を満たし続ける事は出来ないと思います。

また、上記の2つを様々な手段を用いても出来ない様ならコントロールする事は既に難しいと思います。

なのでこの2つが出来るか出来ないかを今後を決める判断材料にしても良いと思います。


モラハラステージ【3】

完全に「脱価値化」が完了した状態です。
「飴と鞭」の「飴」が一欠片も無くなった状況をイメージして下さい。

よくTwitterで「脱価値化」について勘違いされてる方がいらっしゃるので簡単に触れておきますが、「脱価値化」はNPDの人間にとって「こいつにはもう価値が無いから必要無い」と言うものでは有りません。

NPDの人間は自分を「王様(女王)」だとその無意識で思っているとイメージして下さい。
その為に自分をチヤホヤして持ち上げてくれる「貴族(取り巻き)」自分の中の汚い部分を全て怒りに任せでぶつけまくっても誰からも責められる事の無い「奴隷」が必要なのです。

何となくわかりましたか?
「貴族(取り巻き)」=「理想化」
「奴隷」=「脱価値化」
なので彼(彼女)等にとって「奴隷」は必要な存在なので残念ながら彼(彼女)等から「捨てられる」と言う事は基本的には無い
と思います。

ただ、例外もあります。

それは次のターゲットが決まっている場合です。

前述していますがNPDの人間は「欲」の塊です。NPDにとっての“ターゲット”はそのあらゆる「欲」を満たしてくれる存在な訳ですが、よりその「欲」を満たしてくれる可能性のあるターゲットが他にいれば、全ての判断基準が「欲」の彼(彼女)等は幾らでも簡単に乗り換えます。

被害者からするとNPDの人間なんて関われば関わるほどに不幸にしかならない(多分普通の感覚ならば)のでこう言うケースは非常に幸運なケースで、これで多少でも慰謝料が取れるならば「対NPD戦」としてはグッドエンドだと思います。

話が逸れましたが、完全に「脱価値化」された被害者がNPDの人間を思う様にコントロールする事は出来ません。(例外はありますが)

唯一出来る事は、その特性を理解して様々な事を先読みし、怒りのスイッチを入れさせない様にする事くらいだと思います。

子供のいるモラハラ環境では、この段階での被害者のこの行為は必須だと思います。

子供の前で両親の喧嘩を見せる事は個人的には悪い事だとは言い切れないと思っています。

人と人がどうやって喧嘩して、そしてどの様なプロセスを通って仲直りして行くのかを目の当たりに見る事は大切だと思うからです。

ただ、“健全な喧嘩”の場合に限ります。

NPD相手の喧嘩は“健全な喧嘩”にはなり得ません。片方にだけ自由自在に書き換えられるルールブックが有り、そのルールブックが絶対的な権力を持った状態での対等な喧嘩などあり得ないからです。

「それでも」と理不尽にぶつかって行ったとしても泥試合にしかならず、被害者側も挑めば挑むほどに「怒り」や「憎しみ」を募らせてしまいます。

その「怒り」や「憎しみ」を被害者が持つ事はNPDの人間にとってとても喜ばしい事で、
「やっぱりお前もそんな人間なんだ」
と境界線の不全な感覚を満足させてしまうだけになってしまいます。

これは本当に個人的に思う事ですが、子供にとっては互いに憎しみ合い罵り合い、いつまでも“仲直り”する事の無い異常な関係を見せ続ける事は「面前DV」と変わらないのではと考えています。

被害者が正しく、正義なのは間違い無いのですが、だからといって子供の前でその子の親でもあるパートナーに対して言いたい放題に怒りや憎しみをぶつけて仕舞えば、結局はNPDの人間としてる事は同じになってしまいます。

* * *

モラハラステージ3対策

完全に「脱価値化」されてしまった人間にNPDを変える事は出来ません。

現実的に考えて「奴隷兼サンドバッグ」の様な状態の人間が王様(女王)を自分の言う事を聞かせるなんてあり得ないお話しですよね。そう言う事です。

そこまで来てしまった被害者に出来る事は、努力する方向性を変える事だと思います。

「結果の出ない努力は無い、結果が出ない時はその努力の方向性を変えてみる事だ」

と以前に何かで読んで感銘を受けました。

NPDの人間は普通の人間とは違い何もかもが通用しません。

マキシマムザホルモンのマキシマムザ亮君の名言で

「鳥山先生はフリーザとは戦わない」

と言う言葉があるのですが、まさにこれだと思います。
ドラゴンボールと言う漫画をご存知無い方の為に簡単に説明させて頂きますが、「鳥山先生」はドラゴンボールの原作者です。
そして「フリーザ」はドラゴンボールて出てくる悪の親玉で、そのキャラクターの特性は丸々NPDの特性と同じで自分は宇宙の中で一番優れた存在で万能感に満ち溢れ、人の命をゴミの様に扱うと言う存在です。

漫画の中では主人公が驚異的なパワーアップを遂げて「フリーザ」を倒すのですが、戦うのはあくまでも驚異的なパワーアップを遂げた「主人公」で、原作者の「鳥山先生」でさえ戦う事はありません。

あの「鳥山先生」でさえ戦うという選択肢を選ばないのに、一読者でしか無いモラハラの被害者が「フリーザ」と全く同じ特性を持つ(能力値やパワーは違うが)「NPD」と戦うという選択肢を選ぶ事がどれだけ愚かな事なのか、と僕はマキシマムザ亮君の言葉を受け取りました。

同じ土俵に乗らない
一見簡単そうな事ですがNPD相手には中々そうは行きません。彼(彼女)等は挑発して同じ土俵に乗せる様に持って行こうとしてきます。

そこで被害者に必要な事は知識だと思います。
加害者の特性(NPDやナルシシズム)について正しく深く理解する事で彼(彼女)等の思考が読める様になります。

そうする事で彼(彼女)等の挑発に乗せられる事無く、同じ土俵に乗せられる事も無く、感覚としては少し上の視点から状況を見る事が出来るようになります。

現在進行形でモラハラの被害者だったり、過去に一度でもモラハラの被害者になった経験のある人ならば知っていて損する事は絶対にありません。

「難しそう」「意味わかんない」
と初めは思うかもしれませんが、それを求めるのならそれに見合った努力をした方が良いと思います。実際は、体験した事のない人には理解し難い事かもしれませんが一度でも体験した人にとっては共感する事が多過ぎて学ぶ事が楽しくなると思います。

実際どちらかと言えば僕は底辺高卒で成績はクラスで下から2番目で、そんな高校でもギリで卒業出来た様な最底辺人間ですが、自分の置かれている状況が「モラハラ」だと認識してからは自分では今までに無いほどに様々な事を学んだと思います。

その結果が今の平和で穏やかな日々だと感じます。

それは多分誰でもそう言う日常を取り戻せる可能性があると言う確証の様なものなんだと思います。

このnoteをお読み頂いた全ての方にも、平和で穏やかな日々が一日も早く訪れる事を祈ってます。


* * *

本文中に僕は「コントロール」と言う言葉を使っていて「再構築」と言う言葉はあまり使っていないのですが、その理由とモラハラステージのもう一つ上の話も多少この先で説明します。

私感が少し強めの内容になりますので、ここから先の内容は有料とさせて頂きますが、ここまでの内容が「モラハラ環境にいる今を何とかしたい」と考えてらっしゃる方の為に僕の考えられる全てです。

この先はおまけの様な内容なので、ここまでお読み頂いた内容にそれだけの価値を感じた方だけが購入して頂ければ幸いです。

* * *


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