サマータイムサマータイム

「こんなにステキな夏の午後なら、アイスコーヒーを並べるだけでも、うんと特別に見えるわね」

 声のトーンだけで彼女の機嫌がいいのは明らかで、その雰囲気を逃さぬように気の利いた一言でも言えれば良かったのだけど、当の僕は洒落たフォントのメニューを見る彼女の伏せた睫毛の薄い陰に見惚れてしまってそれどころではなかった。


 街を一望出来る小高い丘の上にあるカフェのテラスは午後の日差しを上手く遮って心地よい木陰のようだ。カランと小気味よく水の入ったグラスが鳴る。既にヒタヒタと汗をかいたその姿はまるで少し前の僕らのよう。
 真夏の暑さにかまけてお茶をしようと入ったカフェは時間柄かコーヒーの香りが立ち込めていて、それだけで乾ききった脳が透明なグラスにトプトプと注がれるアイスコーヒーを想像させて思わず喉が鳴った。こめかみから汗が一筋流れてくすぐったい。冷房の効いた室内でよかったのに彼女が「折角だもの」と言うもので、半ば渋々向かったテラス席は思いの外風の吹く日陰になっていて、これなら室内にいる方が損だったかもしれないと思うくらいには心地がよかった。流れる風は午後の日差しと深い緑の匂いが混ざり、彼女のワンピースの裾を踊らせながら通り過ぎていく。

「ねぇ、何にする?」

 僕が見やすいようにメニューの向きを変えてくれるものだから最早彼女のワンピースの裾に見惚れていることは許されない。小高い丘の洒落たカフェに彼女といるということだけでつい胸がいっぱいになってしまって、向けられたメニューをろくに見もしないまま、かけられた言葉に反射的に答えてしまう。

「えっと、アイスコーヒー」
「やぁだ、急いで決めなくったっていいのよ」

 まるで子どもをなだめるように、至極穏やかに彼女は笑う。見透かされているのが恥ずかしくて、メニューを目で追う振りをして俯く僕をよそに彼女は言う。

「でも、アイスコーヒーだっていいわよね」

 そして冒頭の台詞に戻る。彼女はメニューの向きを僕に向けたままメニューを覗き込む。睫毛の薄い影が瞬きで揺れた。

「こんなにステキな夏の午後なら、アイスコーヒーを並べるだけでもうんと特別に見えるわね」

 四季はそれぞれ均しくあるはずなのに、どうして夏だけこんなにも強く刹那的に感じるのだろう。どうしてこれほどにも鮮烈に人の魅力を反射させるのだろう。おかげで僕は逸る鼓動を諌めるのに手間取り、平然を装うのに必死だった。気の利いた一言でも言えればどれだけよかったか。だから分が悪くなるとつい屁理屈をこねてしまうのは僕の悪い癖なのも分かっているし、それが格好悪いことだってことも分かっているのだけれど。これ以上彼女に翻弄されてばかりいるのは流石に悔しくて、つい意地の悪いことを言ってしまう。

「そもそもアイスコーヒーがステキな午後に合わないなんて誰か言ったのかな?」
「いやだ、なんでそんな意地悪言うのよ」

 そう言って小さく吹き出すように軽やかに笑うものだから、結局僕の細やかで情けない反抗も余裕の笑みであしらわれてしまうのだ。僕には眩し過ぎて到底敵いそうもない。

「そう言うキミは何にするの?」
「じゃあ、私はクリームソーダにしよう」
「それは随分、少女のようだね」
「そんなことないわ。夏だもの」

 注文して5分も経たないうちに運ばれてきたクリームソーダとアイスコーヒーはそこだけ冷気が透けて見えるように澄んでいて、思わず漏れた吐息が凍ってしまうんじゃないかとさえ思えた。向かいに置かれたクリームソーダの小さな炭酸の音が心地よい。

「ソーダのグラス越しに外を見ると水の中にいるみたい」

 グラスを持って仕舞えば楽なのに、少し屈んで片目を瞑りグラス越しに街を覗く彼女が無邪気でつい吹き出してしまう。長い睫毛とゆらゆら揺れる大ぶりのイヤリングをした大人の女性なのに、その顔はまるで本当に少女のよう。

「なんで笑うのよぉ」
「いやぁ、発想の豊かな人だと思って」
「なんだか全然嬉しくない」

 ソーダを啜るストローの先は淡いピンク色。グラスから水滴が滴ってコースターの脇に落ちた。サンダルの端に見えるラベンダー色の爪。瞳に浮かぶコンタクトレンズの薄い透明な青。それに見惚れていくうちに、この夏もあっという間に過ぎて行ってしまう。


#サマータイムサマータイム #短編小説

夏の終わりですけど、とってもステキなタグだったので滑り込みました。

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