ジャックは一体何をした

『ジャックは一体何をした』

by キミシマフミタカ

 デヴィッド・リンチの新作短編映画である。時間は17分と短いが中身が濃すぎる。フィルムノワールふうの白黒画面。どこかの鉄道の駅、殺風景な取調室らしきところで、容疑者の猿を相手に、刑事役のデヴィッド・リンチが取調べを行っている。何かの容疑があるらしいのだが、何なのかよくわからない。そもそも取調べなのかどうかも定かではない。
 
 会話の噛み合わなさは、もはや神懸かり的だ。それはこんなやり取りだ。
「お前は現在または過去において、共産党の正式メンバーか?」「身の上話をしよう。父はデ・ヴィッテ家専属の配管工だった。本当の話さ。俺はどんな鶏のためでも命を懸ける。おんどりでもな」「ロデオの経験は?」「サリー(売春婦)から聞いたのか? 俺はビニール袋の専門家だ」「本当か?」「何でも屋のジャックさ」……。

 デヴィッド・リンチだから、という言い訳すら通用しない。たとえ刑事役がブルース・ウィルスであっても、この短編映画は立派に成立するだろう。2人(というか、一人と一匹)は、いったい何について話をしているのか? どうやら、猿には三角関係の相手を殺害した容疑がかけられているらしい。だが、猿の最愛の恋人は猿ではなくニワトリだ……。

 短編のクライマックス(といものがあるとすれば)、殺風景な取調室は、とつぜんリサイタルの会場に場面転換し、直立不動の猿がニワトリへの恋心を、美しい旋律で歌い上げる。愛に溢れた奇妙な歌ではあるが、妙に胸に響くのだ。これはもう、デヴィッド・リンチ・ワールドが炸裂しているわけなのだが、にしてもあまりにシュールすぎて眩暈がする。

 再び取調室に場面が戻ると、猿がふと息を飲んで目を剥き、獣のような奇声を発する。その目線の先にあるのは、謎めいたニワトリの影……。その影を追う猿、その猿を追うデヴィッド・リンチ……。だが、そんなふうにストーリーを追っても仕方がないだろう。
 このドラマの本質は、噛み合わない会話が延々と続くシーンそのものであり、ただ呆然とそのやり取りに心を奪われてしまうのだ。私たちは、毒蜘蛛の巣に囚われてしまった運の悪いハエのように、ただ食べられるのを待つだけだ。もう、あきらめよう。

 考えてみれば、私たちの日常の会話が、どれほど噛み合っていると言うのだろう? 相手の言うことなど聞かずに、話したいことを話しているだけなのでは? そう思うと、容疑者の猿を非難できる筋合いではない。私たちは猿と同様、もしかしたら猿以下かもしれない。なにしろ猿は、最愛の恋人に捧げる愛の歌を、美しく歌い上げるのである。


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