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ドアの向こうへ vol.13

駅前ターミナルでバスを降りた。
たった5年で、駅前はすっかり変わっていた。まずJRの駅舎が立て替えられ、すべて自動改札になっていた。隣接していた駅ビルもなくなり、その代わりに大きな全国展開しているホテルが建って1階から2階までが店舗が入り、3階から上がホテルとなっている。
「何処にいても、何だか同じだね・・・・」
独り言を言って向かい側の通りへ渡った。駅前からまっすぐに伸びる通りの一本右側へ入った通りに公園がありその手前に確か目指す喫茶ひまわりがあるはずだ、まだあるとしたらだけど・・・・・・
メイン通り次の信号を右に入りしばらく歩く「確か、この次の角を左に曲がると、公園が・・・」
「あ、あった、見えた」
背の高い樹といかにも公園というフェンスが通りの少し向こう側の右側に沿ってあった。
と、いうことは、この手前の左側に・・・・
「あ、あった、喫茶ひまわり!」
と、思わず声に出していた。
店の前で掃除をしていた、マスターらしき男性が振り向いて
「はい、今でも、何とかやっていますよ・・・・?あれ?ひょっとして、由美ちゃん?」
と驚いた顔で言った。
「あ、やっぱり、マスターだったんですね、そうです由美子です、ご無沙汰をしてました」
「そうか、やっぱり、さぁ、どうぞ、入って、入って・・・・」
カランコロンと優しいドアチャイムが鳴った。
あぁ・・・この音、懐かしい・・・・
「今、ちょうど開けたところだったんだよ」そう言いながらマスターはカウンターの中へ入り、
「どうぞ」と言ってお水とメニューを出してくれた。 
カウンター席の椅子に座りそのままぐるぐると回しながら、
「6年ぶりかなぁ、高校2年の夏休みが、最後のバイトだったから・・・・」と言った。
「もう、そんなになるんだね・・・・いつものミルクティーでいいかな?」とマスターはいつものあの優しい笑顔で言った。
「わぁ・・・覚えていてくれたんですね。ありがとうございます。ハイ、そのミルクティーでお願いします」
立ち上がって、窓辺のテーブルや本棚を懐かしく思いしばらく見ていると
「はい、お待たせ」
「あ、ありがとうございます」
席に戻って、カップを口にする。
「あぁ・・・・マスターのミルクティーだ、やっぱり、このミルクティーが一番美味しいです」と言うと
照れながら
「おお、そう言ってもらえると嬉しいね」とまた笑う。
街の変わった様子をしばらく話したあと、高校卒業してから、咄家へ弟子入りしたこと、三章亭勝平師匠のこと、兄弟子達のこと、そして、見習いから前座になったこと、三章亭さくらの名前を頂いたこと・・・・・今までのことをずっと話した。マスターは頷いたり驚いたりして聞いてくれた。
「それでね、マスター・・・・・母が亡くなったんです・・・・・今月の初めに・・・」
「え、そうだったの・・・・・それは、また、大変だったね・・・・」
「息を引き取る時には間に合わなくて、寄席の大事な出番があって、休むわけには行かなかったんです・・・・」
「そうか、それはまた、辛かったでしょう」
両親とは芸人の掟の【親の死に目に逢えない】ということは決めていたことを話した。
「でも、伯父さんには責められてしまいました、父はかばってくれたんですけど・・・・」  
「なかなか、解ってくれる人はすくないかなぁ・・・・」とマスターが言ってくれた。
「それで、気分転換になるから、出かけておいでって父が言ってくれて、ここへ来ちゃいました」
「それは、ありがとう。何もできないけど、お話は聞いてあげられるから・・・」
「ありがとうございます、それでね、マスター・・・来る途中のバスの中でね・・・」
母と再会したことを、マスターへ話した。
「そう、それは、良かったね、うん。うん、良かった・・・・そう、いつでも見守ってくれているからね」
「ありがとうございます、マスター」
「俺もね、随分前だけど、妻を亡くした時に、そこ、かしこで姿を見せてくれたんだよ、よっぽど、心配だったんだと思うよ」
由美子はそのことを初めて聞いた。
「マスターずっと独身かと思っていました」
「そうだね、妻のことは、今初めて言うものね、やっと言えるようになったのかな?」
 俺は実は婿養子だったんだ。とマスターは話し始めた。
 旧姓は山田と言ってね。妻は就職先の料理店の一人娘でね。俺にはもったいないほどで、可愛いくて、優しくて、気の利いた素敵な人だった。同じ年齢でさ、22歳の時に結婚して店を継がせてもらってね。それから20年、ずっと二人でやって来たんだけど、季節がそろそろ夏へというあたりの夜、店を開けようとして暖簾を下げようとした時、突然彼女、倒れたんだ。
そして、そのまま、向こうへ行ってしまってさ・・・・・・由美ちゃんの、お母さんと同じ、くも膜下出血だったんだ。
「そうだったんですか、マスターの奥さんも、・・・・奥さんのお名前聞いてもいいですか?」
「あぁ、多恵って言うんだ、多いに恵と書くんだよ、親方夫婦が結婚をしたのが40歳を過ぎてからだったから、子供はあきらめていたらしい、だから赤ん坊が出来た時には二人はそりゃもう、ものすごい喜びようで、赤ん坊にも多くの恵みが授かるようにと、男か女かまだ分からないのに多恵って決めたんだって」
「そうだったんですか・・・・多恵さん、当たり前だけど、生まれる前から愛されてたんですね」と言って、つくづく親ってすごいなぁ・・・私はなれるんだろうか・・・と思った。
「俺はね・・・」とマスターの話が続く。
 卒業したらともかく、都会へ出る、家を出るということしか考えていなかったんだ。卒業間近になって、たまたま入った本屋で立ち読みした音楽雑誌の広告欄に【料理見習い、雑用係募集】の記事を見つけて、これだ!と目が止まり、電話番号を書き写して、駅前の講習電話からすぐに連絡したんだ。そしたら住み込みで、飯付きで働かせてくれると言っていたので親に聞きもせずに決めてしまったんだ。
 「マスターっておっとりしてるようだけど、行動が早いんすでね・・・」
「あはは・・・おっとりね、良くそう言われるけど、決めたら早いんだ、まぁ、せっかちってことだね」
 両親は、勝手に決めたことに驚いていたけど、お前がやりたいことならと承諾してくれた。ホントは特段やりたいことではなかったけどね。そして行ってみて初めて分かったのが、食堂だと思っていたら、和風料理店で【旨処倉】(うまみどころ くら)、というちょっと高級な料理店だった。送られてきた書類には店について詳しく書いてあるのに、それすら読んでいなかったんだ。
 俺の他に、もう二人、吉岡和也と新山武というやはり地方から板前の修業へ来ていた。彼ら二人は高校の同級生で、それぞれ自分の将来設計もできていて、ここで腕を磨いて将来は自分の店を構える考えだった。飯付き住まい付きの雑用係りの募集で飛び付いた俺とは大違いだったわけさ。
「え?マスターのここで出すお料理はどれも美味しいですよ」と私が言うと、
「それは、やはり一から教えてくれた、親方がいたからだと思うな・・・」
 そんな俺だったけど自分でも驚いたのが、お店へ来てくれる、お客さんの顔と名前を直ぐに覚え、好みの料理も覚える事が出来るというのに気が付いたんだよ。だからこのホール係でずっといいや、と本気で思っていた。  
 そんなある日、店も終わり掃除をし、戸締りをしていたところへ、親方が、
「達彦、ちょっと、ここへおいで」
返事はしたものの、何か、やらかしたのかと内心びくびくで、厨房にいる親方のところへいったんだ。
「達彦、包丁は持ったことがあるのか?」
「持ったことは、ありますが、使い方は良く分かりません」と応えた。
「そうか、じゃぁ、ちょっと持ってみろ」
「はい・・・・」言われるがまま、おぼつかない手つきで包丁を握る。
「達彦、それだと、指を切り落としてしまうぞ・・・いいか、人差し指はここへ・・・・」と親方は、ひとつひとつ、丁寧に教えてくれた。普段は無口で、営業中は厳しく他の二人へ指図しているのが、うそのようだったので、親方が実演してくれているその横顔を、まじまじと見てしまった。
「なんだ、達彦、俺の顔に何かついてるのか」と笑って俺を見た。
「い、いいえ・・・・」
「いつでも、俺が怖い顔してるから、意外か?」
「え、いえ、いや、そうかも・・・・」
「あははは、正直なヤツだな、あの、二人は早く一人前になりたい、自分の店を持ちたいというからさ、自然と普段でも厳しく当たってしまうんだよ」
「でもな、そこへ、いくと、達彦はなんだ、その、欲がないというか・・・・板前になる気はないみたいだけど、いろんなことを一生懸命やっているし、客受けがいい・・・」
「はぁ・・・・得意なのは顔と名前を覚える事なんだって自分でも初めて気が付きました」と応えた。
「そうそれなんだよ、達彦が休みの時に、ごひいきのお客は、達彦は?、とか、達彦に会いに来たとか言って、やってくるんだよ」
「今まで何人か雇ってやって来たけど、そんなことはなかったし、あの二人だって、ホールも担当するんだけど、オーダーを通すときはテーブルナンバーでしか言わない」
「でも、達彦は、山崎さんいつもの塩辛と生ビール一つ、と必ず名前でオーダーを通すだろ」
「そうすか、そうやるもんだと思ってましたので」
「名前を呼んで貰ったり、覚えてもらったりするのは、嬉しいことなんだよ、達彦」
「でな」と親方が続ける。
「うちのやつが、包丁を持たせてみたらどうだって、きっと達彦は器用だよって、言うわけさ、で、今日ってことな」
「女将さんがですか?ありがたいです」
「まぁ、今日は初めて握ってみただろうから、勝手が違うかもしれないけど、時間を見つけて練習してみるといいぞ、達彦」
「ありがとうございます、親方」
と、ぺこりと頭を下げた。
 目標もなくここへ雇ってもらっていたからとても驚いたし、うれしかったんだ。こんな風に俺を見ていてくれていたなんてね。
 あ、由美ちゃん、俺ばかり喋ってるけど、時間、大丈夫?
「はい、今日はゆっくりできますから」
そうか、良かったといって、マスターは、おかわりどうぞと、ミルクティーを置いてくれた。
「これは、サービス、サービス」
「マスター、その板前さんの修業の二人とは、あまり話さなかったんですか?」
「彼らは、それぞれ、アパートに住んでいたし、定刻になるとすぐに帰っていたから・・・・後になって親方から聞いたんけど、彼らは自分の店の開業資金を貯めるために、店が終わると、また別の飲食店でバイトをしていたらしい」
「そんなこと、親方さんは認めていたんですか?」と聞いた。
「うん、良くわからないけど、俺のところは給料安いからなぁ・・・とだけ言っていたよ、内心は面白くなかったと思うけどね・・・」
 そんな、ある日の午前中に二人が揃って、親方いる?とやって来たのさ、二人の様子がいつもと違うから、すぐに親方を呼んで来た、親方は二人を見るなり、まぁ上がれと言って、俺に目くばせして、
あ、席を外せってことか・・・・・
お茶を用意してそれぞれの前へ置くと親方が
「これで、映画でも見て来な」と小遣いをよこした。
「はい、ありがとうございます」と礼を一言言ってから、店を出た。

《続く》

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