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読書

私にとって読書は
読書=宿題(読書感想文)というイメージになる程
身近・習慣とはかけ離れた遠い存在で
幼い頃から本は嫌いだった

何が変わったのか
ここ数年でようやく本を読むようになり
読書が楽しいと思うようになった

無趣味の私に
趣味になりうるものが現れるのはとっても嬉しい

当たり前のことをいうけれど
本を読むと視野が広がる

自分の人生の中だけでは知ることができない世界や
私とは違う考え方がたくさんあることを
本は教えてくれる
そういったことをこの歳でようやく知った

最近読んだ数冊は特に
私の心をあたたかくしてくれた

心から人の幸せや無事を祈ったり
相手の気持ちに寄り添ったり
人ってこんなに優しい心を持っているのだと驚く

と同時に私にはその心が無い気がして寂しくなる

私はこれまでに
誰かのことを心から大切に想えたことがあるだろうか

自分のことでいっぱいいっぱいで
本当の意味での人への気配り心配りなど
全くできてなかったように思う

ずっと愛されたかったし
人の温もりに触れたかった割に
自分自身が人に見返りを求めていて
この人が自分にメリットがある人かどうか
私に何かしてくれる人か
以外興味がない気がして自分にがっかりする

人が話してくれた内容をすぐに忘れてしまうことも多い
その人自体への興味を持ててないんだろうなと思う

困っている人がいたら
助けた方がいいって分かっているし
そういう時に手を貸せない人間だと思いたくない
あるいは思われたくないから
自分のために手を貸している気がする

誕生日プレゼントは
相手に喜んで欲しくて
私はあなたの誕生日を祝っても良い人間だと思いたくて
プレゼントを選ぶ
同時にあなたにとって私もそうであって欲しいと
願ってしまう

泣いた方がいい時は泣けるし
頭で考えて相手が望む言葉もかけられるけれど
心から相手を想って涙することなんて
私にはできないのだとおもう

そういう心
どこに置いてきてしまったのだろう

これからでも
私はそういう素敵な心を
手にすることができるのだろうか

私の持つ優しさは
全部どうせ偽善なのだと思っていたし
それを悪いことだと思っていたけれど
私の大切な人がこう言っていた

もしも、やさしさに設計図があって、それに基づいていたらそれは「偽善」でしょう?でも世の中の全員が偽善者でいいと思う。善悪もよくわからないし、偽善も言い換えればエゴなわけだし。エゴのどこが悪いんだ。
つうかもうエゴしか信じられないですよね。
(中略)
下心のある行為が偽善なのであれば、世の中、偽善者だけだと思うんだけど、何も偽ってないんだよな。
自分の為に、俺に発信してくれてるんだ、っていうのが一番嬉しいですよ。信用できる。

信用できるという言葉にハッとした

私の優しさが偽善だとしても
わがままや自己満だとしても
私が何らかの行動をしたことによって
その先に相手の喜びがあるならそれでいいか
と思うようになった

これは偽善じゃないかとか
性格が悪いんじゃないかとか
そんなどうでもいいこと
ごちゃごちゃ考えなくていい

多少のそういう気持ちは誰しもが持つもの
人間だもんね
別にいいよね

とはいえ
綺麗な心にもたくさん触れたいし癒されたいから
これからもたくさん本は読んでいきたい

あっさい話
ただのひとりごとでした

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