ここ5日間ほど、 妻が出張なので、 施設に預けてもらっている。 もう何もできない身体なので どうしようもない。 着替えができない。 料理ができない。 食事の箸も使えない 声が出づらい 寝返り出来ない 歩けない まだまだ出来ないことがたくさんあるが、 周りに多くの迷惑をかけて生きている。 よく、『病気に感謝だね』 と言われるが、そんな子にサラサラなれないこの現状だ。 こんなに辛く、ジメジメしている この病気(多系統萎縮症)は、 見たことも聞いたこともないので、 より辛い。
妻の実家で、妻と一緒に還暦祝いをしていただきました。 妻との誕生日は5日だけ違い、結婚してから33年経ちました。 これまで色々とありましたが、感謝しかありません。
笑いはとても変容をもたらす力ですから、ほかにはなにも要りません。もし自分の悲しみを祝祭に変えたら、あなたは自分の死を復活に変容することもできるでしょう。
あなたがどういう状態にあるかはかまいません。誰が来るかも問題ではありません。マスターには常に用意があります。
自分の責任を回避してはいけません!自分がやるワークのなかでは強烈に生きていましょう。そして、人間として可能なことならなんでもやりつづけましょう。それでいて同時に、どのような緊張も創らずに、欲求不満にならずに、結果にこだわることなく、自分のやっていることを信頼して祈りにならしめましょう。
たとえ暗くても、ないところではなく、あるところを捜すようにあなたの知性を使いなさい。内側を見ましょう。
可能な愛のもっとも深い強烈さのなかに全面的に入っていきなさい。それを、あなた自身のなかにある、神性へ向かう開き口にしなさい。自分の女性的なエネルギーが流れるのを許しなさい。
セックスを、最後の段階ではなく、最初の段階にしましょう。
学識のある人は、生命力のあふれている人のところに行かなければなりません。人工のものは、〈真実なるもの〉のところに行かなければなりません。
自分がなにをやっていようとも、それはゲームだということを覚えておきましょう。自分の役割を遊ぶことです。もしそれが戦いだったら、そのときには戦いなさい。中心に定まったままでいなさい。深刻になる必要はありません。ただ遊ぶだけでいいのです!
自分が失敗したときですら、それもまたひとつの機会になりえることに気づいていましょう。あなたが自分自身の真実に背いてしまい、自分のハートで感じていることを妥協してしたと気づいたときは、あなたのなかを涙が深く流れるのを許すことです。そうすればそれは変容になりえます。
これは、あなたがひとたび神を見い出す道に踏み込んだら、後戻りはないことを思い出させるためのものです。これには途方もない勇気が必要です。
慈悲は、他人への同情でいっぱいになった血のにじむようなハートを持っていることではありません――慈悲とは、状況に覚醒をもたらすのに必要なことであれば、なんでも喜んでやるほどの愛の深さです。
自分の愛を貯め込んだり、計算したりしないように覚えておきましょう。けち臭くなってはいけません。あなたはなにもかも逃してしまうでしょう。その代わりに、あなたの愛を咲かせて、それを分かち合いましょう。それを与えて、育てましょう。
少しの苦闘は必ず必要なことです。私たちは嵐、稲妻、雷鳴、そして悲しみ..を経験することで、それと同時に喜びと幸せを経験することでも、より豊かになってゆきます。
希望のわなに堕ちてはいけません。自分自身の外側から助けが来ているという考えに囚われてはいけません。相手があなたを満たすことはありません。成就は内側にあります。