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退院したくない。



守られた場所

 私はかなり入院生活を楽しんでいた患者だと思っています。病院は、そんなに考えなくても快適に生活できる場所でした。日々の小さな選択すらしんどく感じていた私にとっては、とてもいい環境だったのです。
 消灯時間と起床時間が決まっているので、特に考えなくても起きられるし寝られます。入院している間にアラームをかけることは一度もありませんでした。毎日決まった時間にバランスの取れた美味しいご飯が3食出てきて、献立を考えたりお皿などを洗ったりする必要はありません。お風呂とコインランドリーは騒音防止で使用可能時間が決められているので、ご飯や検温の時間を考慮すると使える時間が自然と限られます。
 何より、最低でも1日に2回は看護師さんが来てくれます。病室からほんの少し歩けばナースステーションに行けるし、看護師さんは24時間病棟にいるので何かあっても対応してくれます。1年のうちほとんどはひとり暮らしをしている私からすれば、5分でも誰かと話せることが嬉しくて。誰かがそばにいてくれるのはとても心強かったです。
 時間がゆっくり流れるのに、不思議と退屈ではありませんでした。朝起きたらカーテンを開けて、しばらく電気を点けずに窓の外をぼんやり眺めるのも。昼下がりの病室で小説の世界に入り込めるのも。キーボードを叩く音が静かな夜にやさしく響くのも。全部、好きでした。自分の好きなことだけに時間を使えるのは、心地よいことでした。

決めることの負担

 もちろん、我慢していたことや不便に感じていたこともあります。着替えも含めて30分でお風呂に入るのは少し厳しいし、消灯時間が普段より早かったのでなかなか眠れない日もありました。外の空気を吸って、散歩をしたいと思うこともありました。でもそれ以上に、平穏が約束された入院生活は心地良いものでした。「何を食べようかな。」「いつお風呂に入ろうかな。」といった小さな選択をしなくても、限られた中から選べばよかったのです。規則の中で生活することが得意な私にとっては、とても快適な環境でした。
 けれど、退院したら自分で全部決めて生活しなければいけない。想像するだけで嫌になってしまいました。何時に起きて何時に寝るか。何を食べるか。何をして過ごすか。入院前のような「選ぶことが苦痛。」、「考えるのがしんどい。」という状況にまた身を置くことになる。守られた場所から出たくない。退院したくない。いつしかそんな気持ちが芽生えていました。退院日が決まってから気持ちが不安定になっていたのは、病院があまりにも心地よかったという理由もあったのかもしれません。守られた場所から出るのが、怖かったです。


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▽ まとめ


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